全文公開 | 桜庭和志がUFC殿堂入りした際の歴史的スピーチ


桜庭和志がUFCホール・オブ・フェイムの式典に登場。プレゼンターのドン・フライに呼び込まれ殿堂入りスピーチを行った。その全文を紹介しよう。

【PRIDEオープニングテーマが「ダン、ダン、ダダン!!」と流れる中、桜庭和志が登場】

どうも、日本からやってまいりました桜庭和志でございます。
今回はこのような立派な賞をいただき、とても感激しております。

ボクはこれまで賞やタイトルには無縁の人生を送ってきました。
最後にとった賞は数年前に忘年会のビンゴ大会であてた2等賞。商品は東京ディズニーシーへのペア招待券でした。今回の受賞はそれに続く快挙です(観客笑い)。商品はトロフィーだけと聞いていますが、家からわずか1時間でいける東京ディズニーシーにくらべて今回はここラスベガスまではるばるご招待いただきました。

やはり賞の重みが格段に違います。
ボクはラスベガスにくるのは初めてです。
友人たちは「たくさんショーを見たほうがいい」とか「グランドキャニオンまで足を伸ばしたら」などと観光気分のアドバイスをたくさんいただきました。
しかしボクは仕事でここに来ているのです。

今日もラスベガスにいる知り合いから「授賞式が終わったら夜景のきれいな観光スポットをまわってみませんか」とお誘いを受けました。
とてもありがたいお話ですがボクはきっぱりとお断りしました。このあと、ここにいるドン・フライとダウンタウンのジェントルマンズクラブでPRIDE男塾の会合を開くという重要な仕事が待っているからです(歓声と拍手)。

ボクがUFCのオクタゴンに足を踏み入れたのは今から20年前のことになります。思い起こせばこの大会へ出場する予定だった先輩がケガをしてしまい、急きょボクが代役で出場することになりました。オファーが来たのは試合のわずか4日前です。

驚いたことにオクタゴンで向かい合っていたのはボクより20キロ以上も重い大男でした。もちろんパワーで押しまくられたもののなんとかアームバーで勝利を飾ることができました。MMAのデビュー戦ともいえるこの試合でボクはいきなり体重差の洗礼を受け、それを克服することに成功しました。

ボクはプロレスラーに憧れプロレス団体に入門しました。
プロレスというジャンルで育ったボクにとって体重差などはあたりまえで、大きい選手と小さい選手が戦うのはお客さんを喜ばせるギミックとしか考えていませんでした。
しかしMMAにとってそれは命取りにもなりえる大問題だったのです。

競技として体重差は試合を大きく左右します。
ボクは何度もそれを体感し、難しさを痛感しました。
しかし、そういう試合をしてきたことに後悔はまったくありません。
そういう試合をしてきたからこそお客さんにインパクトを残せたことも事実だと思うからです(歓声と拍手)

ボクはアスリートであると同時にプロレスラーです。
プロレスで学びプロレスから吸収した細胞がDNAとして染み付いています。
お客さんに伝わる試合をすること、それがプロレスラーとしてのボクの矜持です(歓声と拍手)

大きな選手に向かっていくボクの姿を通してお客さんの人生になんらかの影響を与えることができたとしたらプロとしてこれ以上の幸せはありません(歓声と拍手)

よくファンの方から「自分の人生を変えた試合」と言っていただけるのがグレイシー一族との抗争。特にホイスとの一戦です。

いまのMMAファンからすれば、まさにクレイジーな試合でしょう。
1ラウンド15分の無制限ラウンドで、決着はタップアウトのみ。レフェリーストップすら認めない前代未聞の特別ルールで当時は決闘と騒がれた試合です。この試合でボクとホイスは90分を戦い抜き、最後はグレイシー側がタオルを投入、ボクの勝利で試合を終わりました(大拍手)


自分の一族のために命懸けで戦う彼ら、その一方でお客さんの思いを背負い、お客さんを飽きさせないように必死に戦うボク。戦う理由と意味が正反対の2人が真っ向からぶつかりあいました。

試合中、お客さんのボルテージがドンドンと高まっていく中で、ボクは冷静に次に繰り出す一手を考えていたことをいまでも覚えています。

グレイシー一族との抗争はボクにとって大きな財産です。対策を考えることで技術の幅もどんどん広がっていったと思います。

ボクはいまでも練習で技術的な発見をすることがあります。とくにグラプッリングは奥が深く、今後もそれを追求していくことがボクのテーマだと思っています。先日何気なく見ていたYouTubeで、柔道に木村政彦先生がアームロックを指導している動画を発見しました。あのエリオ・グレイシーとの戦いを制したキムラロックです。

ボクは我が目を疑いました。取り方がボクとまったく一緒だったのです。これは自分にしかわからない微妙なテクニックだと思っていたことを木村先生が大昔にやっていたのです。

木村先生は偉大な柔道家であると同時に、日本のプロレスラーの先駆者でもあります。柔術、グレイシー、プロレス、MMA、あらためて歴史は繋がってると感じました。時代はどんどん進んでいます。ボクはキャリアも過去のものになろうとしています。いまのファンにとってはボクも木村先生と同じく歴史上の人物だと思われてるのかもしれません。

でも、ボクはまだ生きています(笑顔)。

常に練習を続け、いまだに技術を磨いています。共に練習している若い子たちに技術は受け継がれ、どんどん進化していくことでしょう。ただ、ボクは本当に受け継いでもらいたいのは技術ではなく心です。プロとして誇りです(拍手)。

お客さんに伝わる試合をすること、これからのファイターに送るボクからのメッセージです。最後になりますがボクのプロレスラーとしての先輩であり、ここにいるドン・フライと歴史に残る試合をした高山善廣さんが先日、試合中のアクシデントで病院に運ばれ現在も頚椎損傷というケガと戦っています。高山さんはボクと若手時代をともに過ごしプロレスラーとは何かをもっとも近くで教えてくれた先輩です。高山さんもドン・フライと共にMMAの凄さを世の中に知らしめた功労者です。皆さんどうか、高山さんの回復を祈ってください。よろしくお願いします。

本日このような機会をいただいたUFCの皆さんに心から感謝申し上げます(拍手、大歓声)。ご静聴ありがとうございました。
【再び『PRIDEオープニングテーマ』が流れる】

■桜庭和志が伝説を作った日の舞台裏
桜庭和志が伝説を作った日。UFCジャパンのトーナメントで1日に2度対戦した🇧🇷マーカス・コナンが、その舞台裏を赤裸々に語っています。
⦿「日本人が勝つように操作されていた」
⦿「勝つか負けるかより早くその場を離れたかった」

世界に名を知られるMMAレジェンドの桜庭和志ですが、日本時間6月4日にUFCから殿堂入りを果たしたことが発表され、7月7日に殿堂入りの式典が行われています。

桜庭がUFCで試合をしたのは一夜のみ、1997年に開催されたUFCジャパンのヘビー級トーナメントで優勝したのが唯一の参戦となっています。

今と比べると競技がまだまだ整備されていない時代背景もあり、このトーナメントでは奇妙な形で桜庭が優勝しています。

というのも桜庭は一回戦で柔術の猛者であるマーカス・コナンから一度はKO負けを喫するも、その後に抗議が認められてノーコンテストとなり、さらに別のブロックから決勝に上がってくるはずだったタンク・アボットが拳の怪我で辞退したために、決勝で1回戦と全く同じ顔合わせが実現するという事態になりました。

そして決勝で桜庭がコナンから腕ひしぎ十字固めで一本勝利を収めて優勝。今なお語り継がれる「プロレスラーは本当は強いんです」という発言は当時のMMAシーンを象徴する言葉となっています。

MMA大手メディアのMMA Fightingがこの度、桜庭が殿堂入りを果たすこのメモリアルなタイミングで、UFCジャパンで桜庭と対戦したマーカス・コナンに対しインタビューを行い、その時の舞台裏が赤裸々に語られているので、今回はその内容を紹介していきます。

UFCジャパンで起きたこと、レフェリーとの仲、そして桜庭との再会について

1997年UFCジャパンのヘビー級トーナメントは4人制で開催され「タンク・アボットvs安生洋二」「桜庭和志vsマーカス・コナン」が一回戦で行われ、タンク・アボットが判定勝利、マーカス・コナンが一度はパンチの連打でKO勝利を収めました。

しかし桜庭はコナンのパンチを防いだ後にタックルに入っており、それをダウンと取られたのかストップという裁定に猛抗議。それを受けて誤審が認められてノーコンテストという裁定になっています。

私は一回戦に勝って、プレッシャーを感じながらロッカールームで待機していました。

それはデリケートなシチュエーションだったと思います。なぜなら安生がタンク・アボットに敗れてしまい、日本人選手が何としても勝ち上がる状況を作るために、何かが操作されていたのだと考えています。

私は初戦に勝った後、ハメられたと思いました。

誰かが部屋に入ってきてこういったのです。「あなたは桜庭ともう一度戦わなくてはならない。あの試合はノーコンテンストになった」と。これにより私は再び桜庭と試合をしなくてはならなくなったのです。

彼らはそれ以上何かを言うことはありませんでしたが、とにかく私にもう一度試合をさせようとしたのです。

私にはただ彼とまた試合をする以外に取りうる手段がありませんでした。もし彼との対戦を断れば、何かが起こると感じたのです。ロッカーの外にいる人々に脅されているような気がしました。

議論する余地もなく再び試合をすることが課せられました。

私は戻らないぞと言ったのですが、彼らは私にプレッシャーを掛けてきました。私には他の手段はなく、試合をするだけでした。恐れていたわけではないのですが、異国の地で言語も何も分からず、舞台が操作されていることだけが分かりました。

私にとって試合に勝つか負けるかはどうでも良くなってしまいました。

私はただ早くホテルに戻って、バッグに荷物を詰めて帰りたかった。もう試合には集中できずに、早く立ち去ることだけを考えていました。

レフェリーが試合を早く止めたということですが、同じ日に全く同じ相手と戦うなんて、クレイジーだし普通のことではありません。

もし私が桜庭を初戦で完全にKOしていたとしても、同じ状況になっていたように感じます。彼らはただ日本人が試合に勝つことを求めていたのです。

私は桜庭自身に対して何か思うことはありません。むしろ私は彼のファンです。

あの後、彼は素晴らしいアスリートであることを証明しました。彼がUFCの殿堂入りを果たして私はとても嬉しく思います。それでも戦績に記された事実とは異なり、私は初戦で勝利したと思っています。ただ別の手段でそれを上書きすることはできません。

あの時のMMAはワイルド・ウェスト(※アメリカ西部開拓時代)でした。そこには法律もなく、文字通り敵のテリトリーにいるので、他に何をすることもできませんでした。

試合結果が全てではなく、自分で自分を守れるかどうかが重要だと感じました。

マーカス・コナンは現在アメリカントップチームのヘッドコーチを務めており、桜庭との試合を裁いたジョン・マッカーシーとも頻繁に会う仲だそうです。

あれから私たちは友人だよ。ジョンは私に会う度に何回も謝ってくるんだ(笑)

私は彼にこう言いました。「何も謝ることはないよ。あれは君のミスではない。」 彼はあの状況を解釈して、正しいと思ったことを行っただけです。

私たちはお互いのことをいつも見ているし、私は彼を尊敬しています。彼は素晴らしいレフェリーです。彼は経験豊富で、この競技の発展にも貢献しています。レフェリーとしてではなく、人間としても尊敬しているし、ファンでもあります。

アメリカントップチームに所属するキング・モーが2015年末のRIZINに参戦した時に、マーカス・コナンも同行して来日しており、その時に桜庭とも再会してインスタグラムに次のような投稿を残しています。

「約20年ぶりの再会です。グレート・ガイ!」

彼は私の事だと分からなかったみたいだよ(笑)

私は彼にハグをしました。短い人生、恨みっこなしだよ。

When I was told about being inducted into the UFC Hall of Fame, my first reaction was surprise. I stepped into the Octagon 20 years ago at UFC’s Ultimate Japan tournament and I never could have dreamed at that time that one day I would be invited to join the other legends in the Hall of Fame. That was an important fight for me as it was my very first entry into MMA fighting. I continued to fight on a square battlefield – a white canvas mat surrounded by ropes – and you could say that is where I built my career, but it has always been my mission, not only to become the best, but to show the world the excitement and glory of MMA. I gave everything I could in the gym, to perfect myself and my technique, so that I could give the fans spectacle they deserved. With that belief in my heart, that it was my purpose in life, I’ve never stopped pushing the limits of what I can do. In the process, if I’ve somehow influenced the sport of MMA, it was never in my power to do it alone. I couldn’t have achieved anything without my esteemed opponents with whom I fought the fiercest of battles, without the staff who make the events happen, without the media who tell our stories, and, most importantly, without the support of the amazing fans. It is my wish to share this honor with everyone in the Japanese martial arts world that, through PRIDE, helped establish a new era in fighting sport. Kazushi Sakuraba 今回の知らせを聞いて、とても驚いています。 ぼくがUFCのオクタゴンに足を踏み入れたのは、20年前に行われた日本大会のただ一度だけです。そんなぼくがUFCの殿堂入りを果たすとは考えもしませんでした。 たしかにMMAのデビュー戦と言えるのはオクタゴンのあの試合でした。ただ、その後のぼくの主戦場は四角いリングです。ぼくのキャリアのほとんどは、ロープに囲まれた白いマットの上で形作られたと言っていいでしょう。 強さを追い求めるだけではなく、MMAの面白さを世間に伝える。 お客さんに喜んでもらうために、とことん練習して自分を高める。 そんな使命感を胸にこれまで頑張ってきました。 その過程でMMAというジャンルになんらかの影響を与えることができたとしたら、それは決してぼくひとりの力ではありません。リング上で激戦を繰り広げた対戦相手はもちろんのこと、イベントスタッフ、メディア、なによりファンの方々の支えがあってのことです。 この名誉を、PRIDEで共に一時代を築いた日本の格闘技界すべての人たちと分かち合いたいと思います。 桜庭和志

■The story behind Kazushi Sakuraba’s first and only night in the UFC
Kazushi Sakuraba was a UFC fighter for only one night, winning one of the weirdest tournaments in the history of the promotion.

Sakuraba will be honored during the 2017 International Fight Week in Las Vegas on July 6 with his induction into the UFC Hall of Fame. “The Gracie Killer” is arguably the most important figure in MMA history in Japan, and he scored his first-ever victory at the UFC 15.5 card at the Yokohama Arena on Dec. 21, 1997.

The four-man, one-night heavyweight tournament also included Tank Abbott, Conan Silveira and Yoji Anjo, and featured Sakuraba as a late-replacement addition. In the first semifinal, Abbott defeated Anjo via decision after 15 minutes. Sakuraba and Silveira entered the cage right after, and that’s when the weirdness started.

Silveira, a 3-1 heavyweight protege from Carlson Gracie’s team, outweighed the 0-1 Sakuraba by dozens of pounds. The Brazilian landed a punch that rocked Sakuraba early, and referee “Big” John McCarthy stopped the bout. McCarthy thought Sakuraba was out, even though it seemed that the he was already attempting a takedown.

Sakuraba refused to leave the cage. His team protested, and so did the Japanese crowd. Twenty years later, Silveira looks back at the chaos that went down at the Yokohama Arena.

“I won the first fight and was under pressure in the locker room,” Silveira tells MMA Fighting. “It was a delicate situation, even dangerous, I’d say. Since Anjo lost to ‘Tank’ and since the Japanese involved with the UFC that night wanted a Japanese fighter to win no matter how, everything leads to believe that there was some manipulation.”

Abbott suffered a broken hand during his win over Anjo in the other semifinal, so the promotion decided to book Silveira vs. Sakuraba again, this time as the tournament final. The Brazilian wasn’t comfortable with the decision, though.

“I felt trapped after I won the fight,” says Silveira, who had his master Carlson Gracie, Ricardo Pires, Vitor Belfort, and his brother, Marcelo Silveira, with him in Japan. “I was celebrating when someone came in and said, ‘You have to fight him again, you have to fight him again. It’s a no contest now.’ The reality is that I was pretty much forced to fight.”

“They were no longer insisting, but obligating me to fight again,” he continues. “I had no other way out, I had to fight him or fight him. The feeling I had was if I don’t fight him, something could happen. I don’t want to use other words, but I felt threatened by those people outside my locker room.”

“Conan” doesn’t think McCarthy made a mistake that night, and thinks the UFC would never have booked him against Sakuraba in the final had Anjo defeated Abbott, since “they couldn’t have a UFC in Japan without a Japanese (fighter) winning a fight.”

“We didn’t debate, they just imposed that,” Silveira says. “I said I wouldn’t come back, but they pressured me. I had no other option. I couldn’t just not go back. I wasn’t afraid, but you’re in a different country and you don’t speak their language, you understand absolutely nothing, and it was logical that they were manipulating.

“You open the locker room door and there’s a bunch of guys in black suits, those mean faces… my friend, what do you think it’s going to happen? That’s how threatened I felt. I fight or something might happen, you know?”

Silveira’s teammate Belfort quickly tapped Joe Charles with an armbar that night, and it was time for “Conan” to return the cage and rematch the same foe he just fought.

“I wasn’t worried about winning or losing anymore,” he says. “I just wanted to get back to my hotel and pack my bags and leave. I wasn’t worried about the fight, I just wanted to leave. Not that I consider myself to have a weak head, but that affects you. I couldn’t believe that was actually happening.

“There are fights that you think the referee might have stopped it early, but coming back against the same opponent in the same night, even back then, was completely crazy and unusual. I felt that even if I had knocked him out cold in the first fight, I’d have to come back. They needed a Japanese winning a fight.”

And the Japanese fighter won after all. In less than four minutes, Sakuraba shocked everyone in the arena by submitting the jiu-jitsu black belt with an armbar.

It took over a year for Silveira to fight again, and he ultimately went 2-2 over the next three years. For Sakuraba, though, his win over “Conan” led him to sign with Pride FC, where he became a superstar.

“I don’t have anything against Sakuraba, I’m a fan of his,” Silveira says. “After that controversy, he proved to be a great athlete. I’m happy that he’s being inducted to the Hall of Fame, but I know that I won the first fight between us despite what’s written in our record. What happened, happened. We can’t pretend it happened in a different way.

“MMA was a wild west, who draws first wins. There was no law. And literally being in enemy territory, there was no way out. You find yourself in a situation that the result is not what matters the most, you just have to protect yourself.”

Silveira is now one of the leaders of American Top Team, and he often meets with McCarthy when he’s cornering ATT fighters at UFC events.

“We’re friends since,” Silveira says. “‘Big’ John would apologize many times (after when) we met [laughs]. I told him, ‘my friend, there’s nothing to apologize for, it wasn’t his fault.’ He interpreted the situation and did what he thought was right.”


Courtesy of Marcus Silveira
“We see each other all the time, and I admire him,” Silveira adds. “He’s an excellent referee. He’s an old school referee but still improves and helps the sport to improve as well. I admire him not only as a referee, but also as a person. I’m a fan.”

With Sakuraba living in Japan and Silveira running a successful team in the United States, it took years for the two to finally meet again.

Eighteen years, to be exact.

Silveira flew to Japan to corner “King Mo” Lawal for a RIZIN fight in Dec. 2015. Lawal was set to meet Brett McDemott that night (he won via first-round knockout), and as fate would have it, Sakuraba was entering what ended up being his retirement fight against Shinya Aoki.

“He didn’t believe it was me,” Silveira says, laughing. “I gave him a hug. No hard feelings. Life is too short to have hard feelings.”