「いずも」「いずも」そして「いずも」 その2

最初に、訂正とお詫びその1で「いずも」の速度計は隠されていると書きましたが艦橋正面窓の上に設置されているとの、ご指摘が有りました。五つ並んだメーターの右横に設けられている黒いメーターが速度計だそうです。これは、先日、来港した「水中処分母船3号」の速度計「いずも」の速度計は撮りそこなったので、参考のため載せました。「3号」の速度計は白色でした。では、アイランド後部の航空管制室をアイランド後方からこの

特攻

#contents
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**日本以外で正規軍が特攻による航空作戦を組織的におこなった例はないと思いますが、他国でこれをおこなわなかったのはなぜでしょうか?
一応、戦争末期のドイツ空軍がそれをしようと部隊編成まで行ってますけどね。

要は、戦闘行動に耐えうるだけの操縦士を養成出来なかっただけです。

英国は本国は勿論、植民地からの人的資源の供給が豊富で、しかも操縦士の大量養成
が行われ、ローテーションがきちんと出来ていました。
米国も、国土の広さから航空機が欠かせませんので、民間航空のパイロットはアマチュア
も含めて大勢いましたから、こちらも人的資源は豊富でした。
ドイツも、末期こそどうしようもなくなりますが、初期の頃はグライダー航空などの活動を
通じて操縦士を十分養成して戦争に臨んでいますし、ソ連もこれは同じです。

しかし、日本の場合、航空機自体の数が少なく、民間航空の基盤も脆弱で、燃料や機材が
豊富でないので、勢い、質に頼る傾向がありました。
結果、緒戦期を除けば、段々と操縦士の養成が不可能となり、飛ばすだけでやっとと言う
状況に陥ります。
これで、戦果を挙げるのは不可能です。
そこで、採用されたのが特攻作戦と言うことになります。

とりあえず、余計な戦闘行動は不要で、敵にまっすぐ突っ込むだけで済みますからね。
#right(){(163:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}

**特攻隊が出撃前に交わした「水杯」ってただの水だったのですか?
もちろん水。
酒なんか飲んだら上空で酔っ払うじゃん。
(気圧が低くて血管が開くのでアルコールが回りやすい)
水は魂を清浄にするから侍が死にのぞむときは水杯を交わすことになっています。
#right(){(31:218)}

**特攻って少数機だと、申し合わせて逃げる人とかいなかったんですか?
片道分の燃料しか積んでいなくて、しかも海上に向かって発進するのに、
何所に逃げられると思いますか?
あと、護衛の戦闘機が随伴する場合も有りますし。
#right(){(38:120)}
ごく少数だけど逃げちゃった人がいると聞いたことがある。
#right(){(38:121)}
特攻機の燃料が片道分だったというのは事実ではありません。
(以下引用)
あれは、練成をしていた本州各地の基地から
特攻に出るために進出する際に、移動に必要な量しか
給油せず(燃料不足の為)、これが誤解されて広まった話と
隼(一式戦)の前の機種の97戦では、元々航続距離が短く
増槽(切り離しの燃料タンク)を付けても鹿児島から沖縄へは
往復は不可能であった事もあります。
陸軍機は徳之島まで飛んで、そこから給油して突っ込んだり
何らかの理由で引き返し、燃料が足らず、徳之島や喜界島
に不時着が多くありました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1419308239

また隊員ではありませんが、逃げた人もいるそうです。
(以下引用)
「最後の一機で俺も特攻する」
と言っておきながら捷一号作戦の特攻指揮官であった旧陸軍の富永恭次が、
フィリピンでの日本の敗退が明らかになると、部下を置き去りに台湾に逃亡。
海軍も青木泰二郎という人が(一応、特攻指揮)逃げています。
隊員でもエンジン不調などから近くの島に不時着などもいます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1338031263

**「神風特攻隊」の所属はどこですか?
海軍です。指揮官は関行男海軍大尉。
#right(){(39:35)}

**神風特攻は、米軍にどれくらい脅威だったんでしょうか?
最初のうちは、訳がわからず、次に恐れ、そして呆れたと言う感じではないか、と思います。

特攻機による戦死者は海軍2,520余人、陸軍1,015人、特攻機の総数は2,392機。
軍に与えた損害は沈没16隻、損傷艦、正規空母4隻を含めて185隻です。

熟練搭乗員が行った特攻はまさに米軍にとって恐怖以外の何者でもありませんでしたが、
素人に毛の生えた搭乗員が行った特攻、練習機に無理矢理爆弾を詰めて飛ばした特攻は、
米軍の敵ではありませんでした。

大岡昇平の「レイテ戦記」とか、森本忠夫の「特攻-外道の統率と人間の条件-」という本を
一度読んでみられることをお勧めします。
#right(){(44:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**太平洋戦争中作られた特攻兵器で土龍・蛟龍・海龍・神龍といった龍シリーズは実際に使用されたのでしょうか?
蛟龍だけ。
蛟龍は、甲標的(特殊潜航艇)の発展型で、終戦間際に民間の造船所に特別攻撃用の特別優先として造船させて約150隻しか建造できませんでした。
実践に参加したのは3隻のみで、ほとんどの蛟龍は、本土決戦準備中に終戦になってしまいました。
#right(){(54:最高戦争指導会議 ◆kaigi9N7vY)}

**神風特攻には片道分の燃料しか入っていないので威力もその分少なかった、という話を聞いたことがあるのですが、
>実際のどうなのでしょうか?
ガソリンという奴は液体のままでは爆発はせず、気化して空気と交じり合った状態で爆発します。
したがってタンクが空に近い場合、タンクに充満した混合気がそれだけ多いので
爆発力は大きいでしょう。
(テロリストが車に爆弾を仕掛けるときも、ガソリンは少なめにしておくそうです。)
しかし実際にはそれによる爆発力の増加よりも艦上に飛び散ったガソリンによる火災などの
二次被害のほうがダメージが大きいと思います。
#right(){(58:381)}

**特攻用の機体または部隊名などを教えて下さい。
これぐらいは、ご存知だとは思いますが、
特攻《専用》の機体なら「桜花」で、それを用いた最大の部隊名は「神雷部隊」です。
#right(){(62:65)}
私の知る範囲で専用機を揚げてみますと
桜花・藤花/剣(藤花の陸軍用)・梅花・橘花 があります
うち梅花は計画のみ、藤花は一応量産、橘花は試作機が1回飛んだだけで
実戦に使用したのは桜花のみと記憶しています
また四式戦は生産時から機銃を搭載していない特攻専用機も生産されたようです
#right(){(62:66)}
66に追加で、海軍も昭和18年頃から研究を行い、空技廠が99式艦爆を
全木製化したD3Y1-Kを作り、昭和20年から練習用爆撃機「明星」として
松下飛行機(松下電器の関連会社)で7機生産されています。
後、一式陸攻の木製化から、哨戒機大洋が計画されています。

陸軍の東京航空キ-107は初歩練習機で、全木製の手堅い機体でした。
立川キ-106は、四式戦闘機を木製化したもので、昭和19年に開発されました
が、疾風と同じ性能を求められ、関係者は苦労しています。
結局、重量増で疾風本来の性能は失われました。

いずれにしても、合板の製造技術、合板を接着する接着剤の不具合などなど
があり、日本での木製機の実用には至りませんでした。
#right(){(62:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}

**神風特攻隊って、ぶつかる瞬間に椅子ごと飛んでパラシュートで落下したほうがよかったんじゃない?
えっと、天皇に特攻作戦を奏上したときにはそうすることも可能って説明したんだよ
でもちょっと考えればわかるけど、特攻の目標は米艦であり、そうすると自分が体当たり
するはずの米艦の上にパラシュート降下する結果になって、自分もあぼーんされちゃう
わけよね

うまく海に降りても、今度はどうやって回収するかが問題で、サメの餌食にならなかったら
米艦に拾い上げられて捕虜になるのがせいぜい

ね、うまくないでしょ?
#right(){(70:153)}
ネタかもしれないけど。
敵機に突入するため全速力で突っ込んでいる機体から脱出するなんて無理無理。
それに脱出しようとすればコースが変わって命中しなくなる恐れが大きい。
そんな姑息なことするくらいだったら最初から特攻なんかしないことだね。
#right(){(70:155)}

**特攻隊員はどういう人たちから選ばれたんでしょうか
一例だけど、熱望する か 希望する か 希望しない
どれかを選択できるという話を聞いたことある。
初期のころは、その中から、
配偶者等の条件を勘案して選んでていたという話も聞いたことある。
ただ最後の方はそんなんなかったんじゃないかと思う。
ほんとは希望しないにしたかったが、
周りの雰囲気を見てるととてもいいだせないという話も良くきく
#right(){(74:とらいばる)}

**特攻隊って日本軍全軍の中の比率ってどれくらいだったんですか?
神風特攻隊が誕生したのは1944年10月のレイテ沖海戦からで、
この海戦で多数の通常攻撃部隊の不振に比べ、少数ながら
大戦果を収めた特攻が注目され、フィリピン攻防戦以降終戦に至るまで
大規模に実施されることとなりました。

よって比率は状況によって異なり、正確に答えることは不可能です。

一応戦争末期の1945年7月末の航空戦力ということでお答えすれば
最前線の九州では特攻機1500機、一般機600機が配備され
特攻機に重点が置かれた戦備となっていました。
他の地域でも似たようなもので、特攻機は一般機に対しおよそ
2:1以上の配備がなされていました。

また、この他にも自爆艇、潜水艇、フロッグマンなどを用いる
水上/水中特攻部隊が多数存在していました。
#right(){(75:17,19)}

**京極夏彦の「魍魎のハコ」で『特攻崩れ』という言葉がでてきたんですけど、特高崩れの間違いですか?
特攻隊で死に損なった人が戦後、自暴自棄になってハチャメチャやって、
と言うケースがあり、それを「特攻崩れ」と呼んでいました。
俳優の西村晃とか鶴田浩二とかがそうでしたね。
#right(){(78:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
「特攻崩れ」なら、神風特別攻撃隊の生き残り、ということ。
 学徒出陣経験者とかそう言う人達に多かった。
「特高崩れ」なら、特別高等警察の生き残りということで、ヤクザや出入国管理局
(旧内務省関係者の就職除外規定がなかった数少ない公務員)に多かった。
#right(){(78:606)}

**イージスシステムは神風特攻がつくったみたいな話を聞きますが、本当ですか?
それはCICのことでは
そのころにはまだ概念すらないはず
#right(){(84:694)}
その前の3-T(タロス、テリア、ターターの三種)は神風も契機になってる。
もっとも、ドイツ軍はすでに短射程の対艦ミサイルを実用化していたし、
米軍もターゲットドローンを転用した無人機による攻撃を研究していたので、
米軍にとってみれば「織り込み済みの未来」を一足先に見せられたって程度の話かもしれない。

 戦前に撮影したと思われるTDR-1に魚雷を積んだ写真を見た時は、
神風攻撃で死んだ日本のパイロットを思って涙が出たね。
TVカメラ付きの無線操縦で、対地目標に対する体当たり攻撃なら太平洋戦争中に実戦テストを済ませてる。
#right(){(84:699)}

**旧軍に終戦まで特攻を拒否し続けた航空部隊があったって本当ですか?
有名なのは海軍の「芙蓉部隊」
渡辺洋二氏の『「彗星」夜襲隊』(朝日ソノラマ)に詳しく載っています。
#right(){(88:260)}

**特別攻撃隊の台湾の出撃基地ってありましたか?
宜蘭基地や新竹基地などから沖縄周辺へ特攻出撃している
特に宜蘭から七月二十九日に出撃した「第三龍虎隊」は赤トンボと
呼ばれた鈍足の練習機を使用したにも拘わらず米海軍の駆逐艦キャラガンを
撃沈、ブリチェット、キャッシンヤング、ボレース・バイにも損害を
与えた(米海軍側の記録)
他にも出撃基地はあるらしいが漏れは知らない
大陸からの特攻出撃はおそらくない(ソ連軍への特攻除く)
#right(){(88:788)}

**旧日本軍の「特攻」といったら必ず自爆攻撃を指すものなんですか?また、「特殊攻撃」といった場合、どれだけの種類・範囲であったのですか?
「特攻」は「特別攻撃」の略です
これは必ず自爆攻撃です
「特殊攻撃」というのは真珠湾で特殊潜航艇で行ったような、基本的には生還を
前提とした少数による攻撃です
#right(){(91:116)}
特攻は必ず自爆というわけではありません。
全体からすれば少数の限定された話ですが、
空対空特攻の場合は搭乗員の生還が可能で、
複数回特攻を実施した事例はあります。
資料が見付からないので確信のもてない数字ですが、
最高記録は1人で4回特攻した搭乗員がいたと記憶しております。

ただ、空対艦特攻の場合は>>116の通り、確実に自爆になります。

空対艦特攻は生還できないため、
陸軍では特攻を「命令」されることはありませんでしたが、
空対空特攻の場合は生還が期待できるため、
陸軍でも「命令」で実施されていたように記憶しております。
#right(){(91:130)}

**特攻隊の出撃記録が書かれた本のタイトルとか詳しい資料名などをどなたかご存知ないでしょうか?
カミカゼ刊行委員会「カミカゼ―陸・海軍特別攻撃隊」上・下 KKベストセラーズ
デニス・ウォーナー/ペギー・ウォーナー/妹尾作太男「ドキュメント 神風」上・下 時事通信社
(三巻構成の徳間文庫版もあり)

上は各約1万円、下は絶版本ですので図書館なんかで探すのがよいかも
#right(){(92:592)}
最近はネット古書店のほうが便利
#right(){(92:466)}

**戦略としての特攻は正しかったのでしょうか?
特攻は、戦略じゃありません。
あくまでも航空機の運用をどうするかという「戦術」上の問題です。
うまく使う作戦等もあるかもしれませんが、ここで滔々と論ずる問題とも思えません。
コヴァ板に該当スレがありますので、そちらに行ってはどうでしょうか?
恐らく、それなりの数の軍板住民も出張しており、それなりにいろんな意見を吐いていますから、
そちらを参考にされた方がいいでしょう。
#right(){(92:756)}

**航空特攻は戦術的に正しかったのでしょうか?
人道的にみれば明らかに狂ってますが、間違った戦術ではありませんでした。
度重なる消耗戦で全体の錬度が落ちていた日本軍の場合熟練を必要とする急降下爆撃より
そのまま体当たりさせた方が命中率は高かったからです。
#right(){(92:752)}
「効果はあったが、高くついた」

つまりコスト対効果を考えると、もっと上策もあったのでは?ということ。
#right(){(92:763)}
もっと言うならば、
爆弾を命中させる方法としては有効…
ただし、それが戦術上の効果を持つかは、また別問題…
と言い換えることもできるのではないかと。
#right(){(92:765)}
陸軍内では特攻実施前にも戦術上の見地から反対論があり、
要旨以下のようだったそうです。

・武装、戦闘行動で(急降下爆撃に比べて)劣り結果的に不利
・体当たりの最大の欠点は落速の不足にあり、爆弾の落速の二分の一程度では
 装甲甲板を貫徹できず(特攻主張派の言う)一機一艦撃沈は無理

この反論は鉾田の教導飛行師団が出したそうですが(19年8月)、特攻推進を
あくまで主張する航空本部と御用学者を集めて怪しげなデータをまとめた
第三陸軍航空技術研究所に蹴られたとか。
航研が特攻に拘ったのは、既成の爆弾等の改善が出来なかった不首尾を
糊塗するためではなかったかとも。
#right(){(92:770)}

**特攻の場合、爆弾が飛行機に固定されているため、破壊力が投弾に比べて低下するということは無かったのでしょうか。
効果を比較するなら、高空から投弾するのでは、当時の照準装置では
「命中率が低すぎた」とか、「それ以前に迎撃で撃墜される」などの可能性も加味する必要がありますね。
迎撃機が寄りつけないほどの高空から、精密誘導の爆弾を投下するとか、
大量の爆弾をばらまくことができたなら、あるいはそのほうが効果が大きかったかも知れないですが、
それが可能になるほどの国力があったなら、戦争なんかしてない・・・のではないでしょうか。
#right(){(92:780)}

**桜花は母機から切り離された後の戦果はどのくらいですか?
公式に確認されている撃沈は駆逐艦マンナート・L・エイプル1隻のみ。
他に数隻が命中を食らい、一部は大破している模様。
#right(){(94:221)}

**回天が開戦時に大量生産されていたら戦局にどのような影響を及ぼしたでしょうか?
いくらなんでも開戦時に特攻が礼賛されてはいませんから、
単なる資源の無駄遣いにしかなりえません。
むしろ酸素魚雷の生産を圧迫して、日本の戦果が大いに減少したでしょう。
#right(){(94:227)}
あまり影響は及ぼさなかったでしょう。
実戦では回天はほとんど戦果は上げていませんし。
かえって、「こんな肉弾攻撃をやっても勝てないのか」という
嫌戦感を日本人に与えることで敗戦が早まったかも?
#right(){(94:228)}

**特攻隊には、援護機は付いていたのでしょうか?
>もしいたとしたら、作戦を放棄して逃げ出す者を監視する意味合いが強かったのでしょうか?

余裕があれば掩護は付ける。
敵の迎撃戦闘機を追い払って、特攻隊本隊の攻撃の成功率を上げることが最大の目的で、戦果確認が副次的な目的。

逃亡しようにも、逃げるところなんてどこにもないので、わざわざ監視を付ける意味なんて無いよ。
特攻隊は別に懲罰目的で指名されたわけじゃないんだし。
#right(){(479:450)}
**特攻をやるぐらいなら爆装零戦でスキップボムをやればよかったなんて話いたことありますが無茶ですか?
実際爆戦のスキップボミング部隊もあったが、何をやってもバタバタ撃ち落される事には
変わりなかった。
ちなみに「丸エキストラ」あたりではその部隊の搭乗員手記として、スキップボミングを命
中させた空母の艦橋にそのまま機銃掃射を浴びせ・・・なんて勇ましい描写が出てくるが、
真実は定かでは無い。
#right{(508:767)}
日本の航空機は打たれ弱いので、
単純な直線機動のスキップボミングでは、あっさり撃墜されたんじゃないかという話もある。
実際には、日本軍もその辺考えて、急降下して引き起こし投弾という方式をとろうとしたが、
飛行テクニックとしてなかなか難しく、一部の論者が言うほど簡単な戦術じゃなくなってしまった。
マリアナ沖のときも、当初は爆戦にスキップボミングをやらせようと考えてたが、
戦闘訓練が間に合わず、緩降下爆撃に切り替えている。
で、爆弾抱えてほとんど機動性がなくなった爆戦は、空戦訓練未了だったこともあり、
敵戦闘機にばたばたと落とされる結果となった。
どうも、司令部の一部は、爆戦は敵戦闘機に対して耐性が高いと期待してたようだが、
実際には非常にもろかった。特攻のときも援護機をつけてるな。
#right{(508:776)}
**先の大戦で、特攻命令を拒否したら、どうなったんですか?
零戦エースパイロットの岩本徹三は特攻の志願書渡されたけど拒否してるよ
もちろんお咎めはなしで普通に終戦まで戦闘機乗ってた
まあ、志願制といいつつ志願書渡されたら書かざるを得ないような空気だったそうだけどね
岩本さんの場合、日本のトップエースだけに上官も強く言えなかったんじゃないだろうか

形ばかりとはいえ志願制だったのは初期だけだ
学徒動員で促成栽培された連中は訓練初日から本人の意思に関係なく特攻要員に指名されていたし、拒否はできなかった
拒否した猛者も少数いたそうだが、その人たちは翌朝には姿を消していて、消息を尋ねるのはタブーだった
特攻要員選抜の実態は戦況とともにどんどん変化しているので、ある一瞬を取り上げれば正しい回答でも別の瞬間には間違いになる
幸いというべきかはわからんが特攻関係の図書はたくさんあるしどこの図書館でも少なくない数が置いてあるから読んでみることを奨める
#right{(522:563,566)}
**先の大戦で、特攻命令を拒否した人は死刑ですか?
「命令」の拒否になると軍法の対象になる。
その前の、隊員選抜の段階では決して強制しないよう、拒否自由であることを通達する命令文書が何通もある。
まあつまり、一旦志願して隊員になった後に出撃拒否をすれば
それは通常の軍令拒否であるから処罰の対象になる。
ただし特攻の特殊性からメンタル面の影響は配慮するようこれまた通達がある。

念のために言っておくが
拒否できない雰囲気だった、とか半強制っぽい感じの部隊も多かったことは否定しない。
しかし制度上は基本的に志願であり、それを拒否したところで特にペナルティはなかったということだ。
#right{(542:430,430)}

**神風特別攻撃隊はアメリカの護衛機がいない夜間低空で攻撃を仕掛けたら、もう少しマシな戦果を得られたんでしょうか?
大戦末期の特攻隊員に、夜間低空でも目標にたどり着けるほどの腕はない
米海軍は、既にF6F夜戦型など、艦上夜間戦闘機を配備済み
従って、夜間特攻は、昼間より更に悲惨な戦果しか上げられなかったと思われる

経験の浅いパイロットに夜間飛行なんかさせたら目標まで辿り就けないし目標を捕捉して
突入し命中させる事もできない。
経験の高いパイロットにそんなことやらせるなら、普通に雷爆撃させた方がいい。
更に、観測してる機が「当たったかどうか」が判断でき辛くなる。
台湾沖航空戦みたいに「全機命中大戦果」を乱発するのがオチだな。
あと、米軍もその辺は予感しててちゃんと夜間戦闘機を用意していた。
実際は滅多に夜間攻撃は行われなsかったのでヒマでしょうがなかったそうだが。

神風が本格化した硫黄島、沖縄戦の頃には、米軍の空母には夜間戦闘機を搭載して、日本軍の夜間攻撃をバカスカ落としてる。
そもそもそのころには夜間低空攻撃できる操縦員が払底してるので無理。
>夜間戦闘機って、そんなに数がなさそうですがそれを上回る飽和攻撃(中空攻撃でも)ができれば、勝機はあったんでしょうか?
だから、そもそも夜間まともに飛行機を飛ばせるだけの操縦員がそもそもいなかったんだって。
それに夜間戦闘機が少ないといっても、米軍は各空母に4~8機積んでんだから。

米軍の生産力をなめちゃいかん。
夜間型の艦戦が少数生産に終わったのは、日本が夜間攻撃を滅多にやらなかったから。
F6FやF4Uの夜戦型は、通常型にレーダーポッドなどの最低限の改造をしただけなので、
その気になれば大量生産は十分可能だった。
あと、無改造艦戦でも、母艦や護衛艦艇のレーダーで敵機を捕らえ、無線で誘導することも可能だしね。
#right{(528:143-150)}
>別に空中に障害物がある訳じゃないし夜でも照明で照らせば離陸はできるでしょ
>夜に無灯火で車を運転しろって言ってるんじゃないんだからなんで難しいの?
>羅針盤で方向を決めて飛べばいいだけじゃないの?
夜間飛行というのは基本「計器だけ」で飛んで帰ってくることを言う。
目で見たものを信用せず、戦時中の日本製計器のみを頼るわけだ。
地文航法もやらない。天測だけ。昼間なら発炎筒を海に落として風を見ることもできるが、夜間ではそれもできない。
どのくらい風に流されたのかさえ、計器と六分儀と計算尺でやるわけだ。
職人芸だよ?
#right{(528:ふみ)}
**特攻隊員が最後の無線通信で、「天皇陛下ばんざーい」って言って死んでいったってのはマジですか?
>すごく考えたんだが、俺なら「おかあさーん」と言いそうなもんだが・・・
>特攻機にまともな機上無線機など積めるわけないからわからない?
フィリピン戦ならまだしも沖縄では直援がつかないことが多い(突入路啓開の間接支援に重点が移っていた)から
自分で敵を発見し、自分で戦果を報告する必要があります。

だもんで通信計画はきっちり規定されてます。
それを担う無線・電信機材はむしろ必須アイテムと言えるものでした。

で、事例は多いとは言えませんが「お母さん」も「天皇陛下万歳」も戦後の証言の形で残ってます。
#right{(547:ゆうか ◆9a1boPv5wk)}
**特攻機の爆弾って、外れないようになってたんですか?
>もし体当たりしなくても爆弾が当たりそうなら、爆弾投下して帰ってきてはだめなんですか?
沖縄戦のように2機に1機は機材不調・天候不良・敵未発見で帰ってくるような戦場で
爆弾が外れないように固定してたらどんだけ危ないのか、まで考えてもらいませんと。

補足しとくと
末期には突入速度の不足を補うため(機体それ自体がブレーキになる)
直前で投下してそのまま機体ごと突っ込む戦術を採用した事例も散見されます。
#right{(548:ゆうか ◆9a1boPv5wk)}

機種にとって様々なケースがありますが、
日高恒太郎著「不時着ー特攻ー死からの生還者達」
に、エンジン不調で、奄美に不時着した特攻機(九七艦攻)を勤労動員で飛行場整備に駆りだされた
人の目撃回想によると、「爆弾つんどるぞ~、逃げろ~」
みたいなことを(民間人でも)言っていたので、不時着時は大抵爆弾(魚雷)等は投棄していたようです。
当時は完動機率の低下・技量の低下もありましたから不時着とまではいかないまでも
不調で引き返す時も大概投棄してから引き返したそうです(燃料節約の意味も)
部隊によっては例外もあるでしょうが、基本的には投棄していたのでしょう。
同書にも、何回も出撃しなおした人の談話においてはその度に投棄していたとでています。
他の戦記でも概ねそのようなことが書いてありますが、
他方、番線(針金)で爆弾を機体にぐるぐる巻きにされた特攻要員が、
「俺達を見くびるな・疑うのか」
と言った怨嗟の声が聞かれたと言うのも事実であるようです。
#right{(548:357)}
**沖縄戦の米軍機動部隊への特攻戦ですが、少数で逐次攻撃するのではなくて大量の特攻機を護衛をつけて運用し、飽和攻撃した方が良かったんではないでしょうか?
まず現実的に不可能です。
陸上基地は広く分散しているため同時に大部隊を集合させるような有機的運用は当時の技術水準では(今でもかなり)無理でした。
それぞれの基地に多くて数十機、そういう基地が数十箇所、というのが基地航空部隊の実情です。
ゆえに同時攻撃は多くても百数十機(米機動部隊1個群の1回分の攻撃にほぼ相当)がいいとこです。

そしてあなたのいう攻撃は神雷桜花隊の悲惨な失敗という形で実証されてしまっています。
特攻機は大重量の爆弾を無理やり積んでいるために動きが鈍く、護衛する側に大きな負担を強いるのです。
ゆえに沖縄戦の頃には直接護衛するより戦闘機だけで先行し、突入路を開く間接支援に重点が移っています。
(直援も行われています)

で、逐次攻撃ですが、桜花隊においてはそのようなゲリラ的襲撃の方が効果が上がることが戦訓で判明しています。
というより桜花隊は全力出撃では犠牲が大きすぎるために逐次攻撃に移行したのですが。
第2回以後の神雷隊の攻撃は全て逐次で、相応に投下にも成功し、生還機もかなり出てます。
また、米艦隊側は四六時中緊張を強いられる逐次攻撃による兵の消耗に終始悩まされています。
近年発見された「命中効果率56%」という数字は、艦隊が防空戦闘に入る段階まで特攻機の侵入を許してしまった場合
2機に1機以上が何らかの被害をもたらすというデータが残されているくらいで、
米艦隊は特攻機を終戦まで恐れ続けていました。
ただしその一方でこの数字の母数は400機足らずに過ぎず、多くの特攻機が艦隊を視認する以前の段階で
防空戦闘機隊に阻止された実情をも表しています。

つまり、特攻を成功させる最大のカギはCAPの突破なのです。
#right(){(560:ゆうかin職場 ◆9a1boPv5wk)}
**桜花を大型化して、射程を延ばせなかったんでしょうか?
何の為に長射程化させるのでしょう?
運動性の悪い母機ごと落とされるなら、迎撃できない速度で飛ぶ桜花を長射程かさせようと言う事ですか?
その桜花はレーダー等の装備を積まず、一人乗りの機体にして高速を実現させている面があります
高速のまま一人で敵艦隊の策敵なんかやってられません
目視線が通る以上の射程は不必要なので、その辺りは母機に任せている訳です

ロケットエンジンは燃料を大量に食います
長射程化すると、燃料を食って機体が軽くなるまで、燃料の重量を加速する為の推力が必要になります
母機の搭載上限まで桜花に燃料を積んでも、そんなに射程は延びないように思います
#right(){(346:15)}
**天皇が特攻を容認したんですよね?
最初の敷島隊の戦果報告を聞かされて
「かくまでやらせなければならぬということは、まことに遺憾であるが、しかしながら、よくやった」
とお答えになったので、軍は「止めろとは仰せられなかった」と解釈して特攻を続行。
#right(){(564:54)}
**特攻は撃沈が目的では無く、空母の飛行甲板を使用不可能にすることではないんですか?
最初の目的はそのとおりだったんだけど
最初の特攻で「護衛空母」を撃沈したので
飛行甲板破壊どころか空母撃沈できたじゃないか ということで
特攻の威力が過大評価されてしまった。

1944年から45年の米空母とその護衛陣形を突破し
米空母を確実に攻撃するには、単機の機動性よりも
米の防空網を飽和させるだけの物量が必要

特攻機の爆弾を軽くしても何の解決にもならないかと
#right(){(564:375)}
**特攻機に向かって米艦隊は四方から物凄い量の弾を浴びせ掛けている動画を見ましたが、僚艦にも弾が当たっていますよね?
勿論、お互いに射程外になるように艦隊陣形を組む。
でも、高射砲の破片が上から降って来たり、自艦のすぐ
近くに僚艦の撃ってる機関砲の着弾水柱が立って焦った、
という話は沢山ある。

ちなみに外洋に出ていない状態、港に停泊している状態で
空襲されて対空射撃をしたりすると、それはもう悲惨なことに。

真珠湾攻撃の時に生じた「日本軍機による爆撃や銃撃」による
被害、のほとんどは実はアメリカ軍が見境なくぶっ放した高角砲
や機銃の弾によるものだった、と見られている。
#right(){(343:133)}
**神風攻撃隊は空母に突撃して、その中で奇跡的に生き延びた日本兵いますか?
レンゴーの社長になった長谷川薫元中尉
#right(){(339:55)}
**特攻攻撃って通常で攻撃するよりも戦果は期待できたんでしょうか?
組織的な特攻作戦が行われたのはレイテ戦が始めて。
ただし、個人レベルでの体当たり等はそれ以前から行われていた。

特攻機対策が無かったレイテ戦序盤では投入戦力と比較すれば大きな戦果を挙げた。
それ以降はレーダーピケットによる早期警戒・レーダー管制による迎撃・対空砲火の組み合わせが
確立し、戦果を挙げることが困難に。
ただし、硫黄島沖の第2次御盾航空隊のように大きな戦果を挙げる例もあった。
#right(){(84:729)}
機体ごと突入するのは徹甲爆弾より低速で貫通力に劣るため、特に上甲板の装甲化された大型艦に対しては不利。
また陸上爆撃機「銀河」の梓特別攻撃隊員たちは、速度が上がると浮き上がる傾向のある銀河での特攻は絶対に上手く
いかないと、出撃前に語っていた。実際に空母ランドルフに特攻した時も、直前に爆弾を投下してから機体をぶつけている。
#right(){(581:186)}
**特攻は艦を急旋回させれば避けられるという対処法があってあまり有効な戦術じゃない?
>特に上空から真っ逆様に突っ込む特攻機は急旋回する艦に対処出来ないらしい
当のアメリカが有効効果率56%、つまり視認距離まで接近されたら
猛烈な対空砲火にもかかわらず2機に1機は人的・物的損害をもたらすと判定していますが何か?
つまり接近されたら人死にや要修理を覚悟せねばならなかったのですよ。

もちろんこの数字の母数は総出撃数の1割程でしかないことは考慮しなければなりません。

総じて言えることは、迎撃戦闘機が殆どの特攻機を阻止することに成功しているが、
一旦艦側の視認距離まで接近されてしまったら2機に1機以上という高確率で何らかの損害をもたらした、
対艦戦術としては非常に有効なものだったということです。
一方でアメリカの防空システムも恐ろしいほど効果を挙げ、10機に9機は艦側が視認する前に阻止されてます。

裏を返せば迎撃戦闘機が何らかの手段で無効化された場合、米艦隊は大損害を想定せねばならず、
そのために終戦まで終始特攻は恐るべき攻撃だったのです。
#right(){(特攻スレ:285)}

といいますかですね、総出撃数20機の内1機以上が有効な打撃を与えるってのは
開戦当時の神業クラスは置いとくとしても
中盤以降の平均的部隊のそれには十分匹敵しますよ。

例えば第二次ソロモン海戦で日本軍は合計54機の艦爆隊を放っていますが内有効な打撃は至近なし、命中3発です。
半数の27機は敵を発見すらできずに引き返しました。

「有効打撃率」=3/54=5.6%。特攻と同じでしょ?

実は特攻も同じなんですよ。沖縄戦で出撃数の過半は何らかの理由で引き返しています。
#right(){(特攻スレ:289)}
**回天は開発当初から洋上の艦隊襲撃を考えていたのですか?
はい。
訓練教程でも基礎訓練課程の後に高等課程として高速航行艦(20kt以上)への襲撃運動は
当初より含まれていました。
回天の数が揃い、戦訓・教訓が集積されるにつれより充実したマニュアルになっていきますが、
過程そのものは最初から具備されています。
#right(){(595:ゆうかin職場 ◆u8WC078ef5ch)}
**艦攻や艦爆で特攻する時に後部座席に人が乗る必要があったのですか?
目的地に着く前に迷子になっちゃ意味がない
目的地に着く前に撃ち落とされちゃ話にならない
目標に爆弾を落として機体は別目標に突っ込めば効率的

特攻戦死者名簿をつらつらと眺めると艦爆隊で単独特攻がありますよ。
第三御盾隊の彗星に集中していて、必ず後席に搭乗者を乗せた機体とペアを組んでますが。
宇佐航空隊(練習航空隊)の九九艦爆にも単独突入があります。
この隊も編隊長機は2名搭乗ですが。

ペアの搭乗員と別れたくないといった心情的なものもあるかも知れませんが特攻であっても
航法、電信を載せての出撃が殆どです。
#right(){(327:426,448)}
**艦攻や艦爆で特攻の場合、後ろの人は乗せていったのでしょうか?
ほとんどの場合、後席にも乗せて、普段組んでるペアごと特攻している。
日本の場合、操縦員だけ突っ込んだりすると残されたものが、非常に肩身が狭くなるし、
そもそも後席の人間は航法や、偵察員を兼ねているので、敵艦隊のところまでまともに
たどり着けない可能性が高くなる。
宇垣特攻のように司令官が無理やり乗っかって突っ込むようなのでないとペアは崩さないと
思ってた方がいい。
#right(){(616:235)}
**せっかくの特攻なのに250キロ爆弾というのはもったいなくありませんか?
>どうせ片道飛べばいいんだし、500キロ爆弾とか、1トン爆弾抱かせた方が良かったんじゃないですか?
その手の実例は山ほどあります。
単に手持ちの武器の組合わせ、機体の性能低下とのバーター、その他の理由で搭載弾種が選定されたに過ぎません。
一般には後期になるほど大重量弾が搭載される傾向にあります。

神雷隊の零戦や陸軍の特攻で500kg搭載で突入してるし
天山では800kgや雷装で突入してる機体もありますよ。
#right(){(327:451,452)}
**特攻隊の構成で、予科練や兵学校出より学徒兵が多いのはなぜ?
>職業軍人を温存したかったの?
単純にその頃のパイロットの構成で学徒兵が多かったからです。
構成比率を調べてください。
むしろ意外なほど公平に選抜していることが分かります。

Wikipediaの「特別攻撃隊」にその辺の事情を説明した表を載せてあります。
#right(){(607:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)}

**特攻作戦を始めたのは海軍航空隊ですが、陸軍航空隊は特攻作戦には積極的だったんでしょうか?
だんだん積極的になっていきました。
一応の切り札的存在であった紫電改や雷電を特攻に使わなかった海軍と違って
陸軍は最終的に五式戦以外の主力戦闘機を全部特攻に使ってます。
#right(){(325:704)}
**特攻のうち成功したのは何パーセントが成功したとかいうデータはあるんでしょうか?
海軍機1298機、陸軍機1185機、うち命中したもの243機、至近に落着(多少の損害は発生)165機、合わせて命中率は16.4%。
迎撃戦闘機の網を抜けて上空に達した特攻機に限った場合、命中率は一時期56%もあったが、だんだん低下している。
なお護衛空母を除くと、巡洋艦以上のサイズの軍艦で沈んだものは無く、大破どまり。
#right(){(612:197)}
**回天は人間が魚雷の誘導装置となるわけですが、回避不能なところまで誘導すればあとは脱出してもよさそうなものなのに‥と思ってしまいます。
回天には脱出装置がつく設計だった
昭和天皇の「脱出できるのか?」という御下問によるものだ
実際に製造されたもんは、脱出は実行不能ということで省略されたがね
#right(){(309:966)}
**特攻隊って建前上は志願だったんですよね?では、沖縄特攻のときは、「海上特攻」と銘打たれていたんですから、形式上は乗員から参加の意志の確認とかとったんですか?
海上特攻隊の特攻は、
真珠湾の甲標的なんかと同じ、通常の兵器・戦法ではない意味の「特別攻撃」なので
神風特別攻撃隊の「特別攻撃」とは異なります。

というか「特別攻撃」という大きなカテゴリーの中に甲標的があり、神風があり、大和特攻があるわけです。
それぞれが別個の小カテゴリーなんですよ。
#right(){(637:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)}
**日本軍の特攻機って米海軍にとってかなり驚異だったのですか?大型鑑が目標だから駆逐艦乗りはある程度安心感あったの?
特攻戦術も徐々に変化してまして、当初の空母・戦艦などの大型艦狙いから
沖縄戦の頃にはレーダーピケットとして前進配置されている駆逐艦が
特攻の標的とされています。
このため、特攻機をひきつける格好になった駆逐艦乗りの士気が低下する傾向にあったとか。
#right(){(301:212)}
**特攻で予備学生の数が多いのはなぜ?
予備学生が多かったのは単純に予備学生の方が10倍近い数だから
沖縄戦の頃には海軍パイロットの9割が予備学生出身だから
公平に選抜すれば特攻隊員の9割が予備学生出身になるのは当たり前のこと
>wikipediaの特攻の戦死者の内訳見ると、搭乗員の構成比率にほぼ一致するけど。
>予備士官の比率が特に多かったということはありませんが。
ちょと訂正
士官の話ね

沖縄戦で特攻戦死した士官は52名、予備士官は507名。
そして終戦時点で士官は1034名、予備士官は8695名在籍。
だから特攻戦死の9割が予備士官で当たり前なのです。
#right(){(652:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)}
**予科練生だった前田武彦氏が、特攻隊に志願するか用紙を配られたけれど、「志願せず」と書いた者が特攻要員にされたと書いているのですが、これは真実でしょうか?
>前田氏は「希望せず」と書いて「蛟竜」の要員にされたと憤慨しています
>http://tseiso.hp.infoseek.co.jp/ml/yokaren.html
海竜なら特攻前提だけど、蛟竜だと、魚雷攻撃後は、帰還する予定だけど。
希望どうりにしか見えないが。

正確に言うと蛟竜は甲標的丁型。
つまり特殊潜航艇で、決死兵器だけど必死兵器じゃあない。
あくまでも通常の潜水艇の範疇。
#right(){(661:255-256)}
この手の調査は
「熱望」「希望」「志望せず」の三択です。
特攻はあくまでも志願の前提なので「志願せず」とした者を特攻隊に回しはしません。
残念ながら「熱望」回答を強制するような空気が一部にあったことは事実ですが。
#right(){(661:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)}
>本人が特攻兵器(特攻隊)だと書いています
そういうのは御本人の主観が多分に入ってますのでどうしようもありません。
また蛟竜が「特攻戦隊」に配属されたのも事実です。

しかし蛟竜は特種攻撃兵器としての「特攻兵器」ではありますが、いわゆるカミカゼや回天のような特攻とは
まったく別種のものです。

回顧録、個人レベルの戦記ものを読まれる際は、著者の方の立場からの視点でしかないことが多々あります。
もちろんそれは現場の観点として非常に有益だし重要なものではありますが、やはり大局的じゃないんです。
ですから記載された内容を解釈する際には十分な吟味が必要で、
うかつに信じ込むと真実はまるで逆だった、みたいなケースはしばしばありますので留意してください。
#right(){(661:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)}
**特攻隊員に選ばれて喜んだ搭乗員がいたとか?
隊員の総意としては「少しでも早い方が良い」でした。
時間が経てばあれこれ考えてしまうからです。
貴方の挙げたような人がゼロとは言いませんが完全に例外です。

そして軍としても時間を空けることで弊害が多々出てくることは承知していました。
フィリピン戦では選抜から出撃までの間隔が比較的短く、また特攻隊の規模も後に
比べれば大きくなかったこともあって問題が大きく顕在化しませんでしたが、
沖縄戦では規模の大きさ、帰還率の高さ(半分以上は帰ってきました)のため
精神的に重大な問題が発生し、部隊全体の士気にまで影響が出ています。
それらを少しでも解消するため温泉でのリフレッシュ、軍医による
メンタルケア等積極的に行われたし行うよう通達も出てます。
陸軍で悪名高い振武寮が設置されたのも同じ事情です。
#right(){(661:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)}
**特攻隊員に指名されてから出撃するまでの間、精神的にかなり不安定になると思うのですが、何らかの精神的ケアはされたのですか?
ヤバかったのは初出撃後「帰ってきてしまった」人たちです
一度した決心が挫けた分だけ反動がものすごかったのです
そういう人たちの鬱々した気分は隊に伝染し、部隊ぐるみで士気の低下に深刻な問題を来すようになったため
様々な手段によりケアが行われています

カウンセリング等も行われていたし、温泉療法でいったん部隊から離れさせたこともあります
中には特攻隊から外されたケースさえあります
その一方で悪名高い振武寮のような荒療治も行われています

特攻隊員をどう扱うかについては航空艦隊や飛行隊レベルでの命令文書が多々現存しており
自衛隊戦史研究室で閲覧することもできます

追加。
特攻隊員、特に一度戻ってきた隊員やそれに感化されてしまった部隊の仲間などは
精神的に追い込まれ、人によっては非常に危険な状態になりました

彼らの取り扱いについては航空艦隊や飛行師団レベルから飛行隊レベルまで
各種の命令文書によって「できるだけ一般兵と区別することなく、同等に扱うように」とする一方で
「変調に特に気を配り、速やかに必要な処置を施すこと」と指示されており
「場合によっては一時特攻隊から外して休養させるべし」とまで書かれています

これらの命令文書は恵比寿の戦史研究室に何通も現存しており、足を運べば自分の目で確認することができます
#right(){(682:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)}
**特攻隊員にヒロポンを打ったというのは事実ですか?
「突撃錠」でググレ
#right(){(682:861)}

使ったことの証明は簡単で、当時の軍医の処方がやはり戦史研究室に残っています
ただし別に特攻隊員に限らず、一般の兵にも当たり前に処方されていたことも同じく証明されています

精神的に不安定な特攻隊員が処方を受ける機会は確かに増えたでしょうから
単にそれが目立ち、いかにも特殊な事例であるかのように誇張され、
(戦後判明した悪質な中毒性と相まって)戦中においてはありふれた、普通の薬であったことが糊塗されてしまったわけです
#right(){(682:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)}
**特攻の仕方はどんなものだったんでしょう?
特攻機の突入の手順には二種類ありました。

まずは、
・超低空で索敵→敵発見で急上昇、急降下
この場合は低空で接近し、目標を発見した後いったん高度300メートルまで上昇し、
目標から約10キロの地点から降下を開始して最終約45度の突入角度で突入します。
利点としては、レーダーに捕まりにくいことと(約20キロ付近までは探知が困難)
上空哨戒戦闘機が目視で発見することが困難なことです。

次に、
・高高度で接近し、目標発見後緩降下で突入
という方法もありました。 約6000メートル以上の高空で飛行すれば、レーダーには
発見されるものの哨戒戦闘機がその高度に達するまでに時間がかかるために
特攻機が敵機を早めに発見して対応することが可能でした。
あまり角度をつけて突入すると、速度が付きすぎてコントロールが難しくなるため、
角度の浅い緩降下で突入を行いました。

理想はこれらを組み合わせて敵の対応を困難にすることですが、実際は使用できる
機体の数や錬度の問題で不可能でした。
#right(){(126:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**陸軍の特攻隊って洋上航法の心得がある人が隊長機を務めたの?
陸軍が出したのは、島がどこからでも見えるようなフィリピンとか島伝いに辿り着ける沖縄がほとんど。
#right(){(俺初質スレ2049:634)}
**陸軍の特攻隊が空母の飛行甲板に突入したことってあるの?
陸軍は狙った事はあるけど、実際に空母に突入成功した事はない
フィリピンの富嶽隊とか
#right(){(俺初質スレ2049:792)}
四式重爆は沖縄方面の対艦特攻に投入されてるぞ!
#right(){(俺初質スレ2049:795)}
**特攻機に複座があって、二人乗りで突っ込んだって話もきいたことあるけどそれに何か意味があるのかな?
>別に二人で突っ込んだからって命中精度2倍ってわけでもなかろ?
通常攻撃のときと同様、通信とか航法とか防御機銃の操作とか
#right(){(俺初質スレ434:369)}
当時の日本海軍だとペアもしくはチーム単位での運用のため
転勤もペアもしくはチーム単位で行ってたという事実を頭に入れといて。
操縦士だけで突っ込むことは可能だけどそれやると残されたペアや残りの
チームが陰口や中傷などでひどい目に合うという事例があり生き残ったこと
にたいして間接的に処罰されてる状態になったのでどうせならと志願が続出して
結果的に一緒に突っ込むのが既定事実化された。
#right(){(俺初質スレ434:370)}

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