近代日本経済の父 渋沢栄一の故郷、深谷を歩く。♯1~中の家~

渋沢栄一は天保11年(1840)、現在の埼玉県深谷市の農家に生まれた。
いとこの尾高惇忠から論語をはじめとした学問を学ぶとともに尊王攘夷思想の影響を受けた。
24歳のころ尊王攘夷運動に加わり、高崎城乗取りを計画するが、周囲からの情報により計画は中止。
その後一橋家および徳川幕府に仕え、慶応3年(1867)、15代将軍徳川慶喜の名代徳川昭武に随行して渡欧し、その滞在中にヨーロッパの社会や文化から多大な影響を受けた。

明治元年(1868)11月に帰国した後、大隈重信の説得により明治新政府の大蔵省に仕えるも4年で大蔵省を辞職し、実業界へ転身。
第一国立銀行をはじめ約500社の設立に関与し、社会福祉活動や国際交流にも尽力した。


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埼玉県指定旧跡「渋沢栄一生地」
旧渋沢邸「中の家」。
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現在の「中の家」は、栄一の妹・ていと夫・一郎によって守られた。
明治20年頃、養蚕を拡大するため中の家を建て直したが、明治25年に火災で焼失したため再建。
奥の十畳の部屋は帰郷する栄一のために念入りに造らせたという。

主屋。
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屋根に「煙出し」と呼ばれる天窓のある典型的な養蚕農家の形を残している。
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副屋。
現在の副屋は明治44年に上棟。
それ以前には藍玉の取引に使われたのか「お店」と呼ばれていた。
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若き日の渋沢栄一像。
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