日馬富士の引退に「納得できない」 | 白鵬「言葉見つからない」


大相撲冬巡業初日が3日、元日馬富士関の暴行問題の余波を感じさせるピリピリムードの中、長崎・大村市で始まった。
平幕の安美錦が、引退した弟弟子の元日馬富士関への思いを語った。引退することをテレビとインターネットで知ったといい「納得はできないけど…」と何かを言いたそうにしたものの、のみ込んで「稽古場で一緒に上を目指してきた仲間として残念です」と表情を曇らせた。しかし、暴行問題がありながらも多くのファンが訪れて「こういう状況でもたくさんの人に来てもらって感謝です」と話した。

■白鵬「言葉見つからない」
横綱白鵬は4日、長崎県五島市で行われた冬巡業で、元横綱日馬富士関が暴行問題の責任を取って引退したことについて「本人にどういう言葉を掛ければいいか見つからない。難しい。少し時間を置いて、本人に直接伝えられればいい」と述べた。
元日馬富士関が11月29日に引退して以降、白鵬が言及するのは初めて。巡業では取組や土俵入りをこなした。
暴行を受け、巡業を休場している平幕貴ノ岩の診断書は、4日も提出されなかった。貴ノ岩の師匠、貴乃花巡業部長(元横綱)に代わり、巡業の責任者を務める春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)は「義務だからね」と対応の遅さに首をかしげた。同広報部長は巡業初日の3日に続き、日本相撲協会を代表してあいさつで来場者に暴行問題を謝罪した。
元日馬富士関は10月の秋巡業中の酒席で、貴ノ岩に暴行した。白鵬は現場に同席しており、協会危機管理委員会の経過報告によると、白鵬が説諭した際、貴ノ岩がスマートフォンをいじっていたことが発端となり、元横綱の暴行につながった。
白鵬と元日馬富士関、貴ノ岩はいずれもモンゴル出身。白鵬は40度目の優勝を果たした九州場所千秋楽のインタビューで「日馬富士関と貴ノ岩関を再び土俵に上げてあげたいと思う」と発言。さらに観客に万歳三唱を促すなど言動が横綱の品格に関わるとして、11月30日の定例理事会で厳重注意を受けた。

■暴行問題で「バスに乗れ」
大相撲冬巡業初日が3日、元日馬富士関の暴行問題の余波を感じさせるピリピリムードの中、長崎・大村市で始まった。朝稽古の前に貴乃花親方(元横綱)に代わって巡業部長を務める春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)から、十両以上の力士らに訓示があり「バスには乗れ。別行動は認めない」と要求。次の巡業地へ移動する際は、全員一緒のバスで移動することを義務づけた。支度部屋入り口の横には「別行動を一切認めません」と書かれた紙を張る徹底ぶりだ。
前乗りした2日、大村市の夜の街にも厳戒ムードが漂った。協会関係者によると、宿泊ホテルや飲食店、力士らが使うコインランドリーなどで、小型カメラを忍ばせた人を多数目撃したという。「どこかのテレビ局だと思うけど、さすがにやりすぎだ」と不満を募らせた。力士らからは、夜に出歩くのを自粛しているという声も多く上がった。
この日の巡業は、ほぼ満員の4200人が観戦に訪れた。横綱白鵬、鶴竜も稽古場に姿を現し、結びの一番で相撲を取って大歓声を浴びた。しかし、報道陣の取材に応じることはなく、土俵の外に緊張感が漂った。

■日馬富士「貴ノ岩の心も傷つけ申し訳ない」
元横綱・日馬富士の暴行事件です。日馬富士が2日の警察の事情聴取で、「貴ノ岩の体だけでなく、心も傷つけてしまい申し訳なかった」と供述していたことがわかりました。
この事件で、鳥取県警は2日、日馬富士を警察本部に呼び、2度目の事情聴取を行いました。関係者によりますと、日馬富士は調べに対し容疑を認めたうえで、被害者の平幕・貴ノ岩について「体を傷つけただけでなく、心も傷つけてしまった。本当に申し訳ないことをした」と供述していたことがわかりました。
取り調べはモンゴル語の通訳を介して行われ、およそ9時間に及びましたが、日馬富士は謝罪の言葉を繰り返したということです。
また、日馬富士は日本相撲協会の危機管理委員会の調査に対して、事件現場となった飲食店で「貴ノ岩が横綱・白鵬に謝っていれば、こんなことにはならなかった」とも話しているということです。

■小兵も異彩放った日馬富士
横綱日馬富士が引退した。貴ノ岩の頭をカラオケのリモコンで殴って、裂傷を負わせた。そらあかんわな。横綱やしなあ…。しかし、もったいない。そう思いませんか?
白鵬、稀勢の里、鶴竜の3横綱が全休した秋場所で、優勝した。5日目を終わって2勝3敗、10日目を終わって6勝4敗。金星4個も与え、いつ途中休場してもおかしくない状況やったのに、1人横綱の責任を全うすべく土俵に上がり続けて、終盤は5連勝。すごかったのは、千秋楽でしょう。本割、優勝決定戦で豪栄道を連続で退けた。突き刺すような立ち合い、気迫みなぎる取り口。豪栄道は「完敗です」としか言えなんだ。途中までのもたつきは何やってん? 誰もがそう思うほど“横綱のすごみ”はえげつなかった。

体調はいつも万全やなかったようです。
7月の名古屋場所前やった。宿舎で朝稽古を見て、話を聞いた。相撲担当歴2カ月の素人が「体調はどうです?」と聞くと、ため息交じりに答えてくれた。
「う~ん、良くないね」

-やっぱり両肘ですか?
「そうだね」

-思い切って2場所ぐらい休んで治すっちゅう選択はないんですか?
「2場所とか、半年じゃ無理。1年以上とかじゃないとね」

-そんな長くは休めませんわなあ
「本当に治したいなら、辞めないと。辞めた後じゃないとね」-。

体重137キロ。九州場所の番付で、幕内力士42人のうち、宇良と荒鷲の135キロ、千代翔馬の136キロに次いで軽かった。力強さを備えたスピードで最高位を必死に守り抜いていた。力士の大型化が進む時代に、異彩を放っていた。
答えに困ったら、決まって「一番一番、全身全霊で…」と言うてはった。その時は「またかいな」と思ったけど。そのセリフがもう聞けん。ほんまに寂しい。