第2次ソロモン海戦(下) 衝撃、爆弾命中の瞬間 炎上する米空母…帝国海軍、一矢報いる!

第2次ソロモン海戦(下) 衝撃、爆弾命中の瞬間 炎上する米空母…帝国海軍、一矢報いる!

 

(1/4ページ)【関西歴史事件簿

エンタープライズに爆弾が命中した瞬間

 昭和17(1942)年8月、ソロモン諸島の一角、ガダルカナル島に連合国軍が進める飛行場建設を阻止しようと、陸兵の上陸と航空機での攻撃を仕掛けるため、3隻の空母を出動させた日本軍。

だが第1ラウンドで上陸した一木支隊をほぼ全滅させたのに続き、第2ラウンドで空母「龍驤(りゅうじょう)」を失う

そして第3ラウンド。もう負けられない日本軍は、主力空母「翔鶴(しょうかく)」から発進した攻撃隊がアメリカ空母に襲いかかった。

空母を損傷させるも

24日午後2時過ぎ、すでに発進していた37機の翔鶴攻撃隊は戦艦「比叡」偵察機が発見した敵機動部隊の方へ進んでいくと、まもなく「エンタープライズ」と「サラトガ」の2隻の空母を捕捉する。

当初は機動部隊に加わっていた「ワスプ」は燃料補給のため、ここにはいなかった。

関衛(せきまもる)少佐の全軍突撃命令で午後2時38分、全機が2隻空母に向けて突っ込んでいった。

すると30機ほどのアメリカの戦闘機がスピードの遅い99艦爆隊にとりついてきた。

零戦が振り払おうとするが、艦隊からの対空砲火もすさまじい。

しかもアメリカ側のパイロット、乗組員ともに開戦当初より確実に技量をあげていたため、容易に近づけない。

それでも何とかアメリカの防空網をかいくぐって急降下爆撃を敢行し、エンタープライズに250キロ爆弾を3発命中させることに成功する

エンタープライズでは甲板に穴が開き、火災が発生した。

だが、250キロ爆弾では甲板にダメージを与えても最深部の機関までには届かず、思ったよりも被害がなく、決定的な損害を与えるには至らなかった。

 

(2/4ページ)【関西歴史事件簿

 エンタープライズは火災を鎮圧すると、1時間ほどで甲板に開いた穴をふさぎ艦載機を収容して戦線を離脱するという、機敏なダメージコントロールと驚異の回復ぶりをみせた。

もう1隻のサラトガは無傷だった。

この攻撃で日本軍機は99艦爆27機のうち17機、零戦が10機のうち3機を失う大損害。

また2時間遅れで発艦した瑞鶴(ずいかく)の攻撃隊はアメリカ機動部隊を発見することができず、日没のために帰投するが、夜間飛行になったため、数機は母艦にたどりついていない。

遅れて気付く

今回の戦いで日本側は龍驤を失い負けにはなったといえ、主力空母の翔鶴と瑞鶴は健在で、戦力的には大きく落ち込むほどの損害ではないとみていた。

しかし戦闘能力の低い軽空母の龍驤を単独で行動させて失ったのは、3カ月前の珊瑚海(さんごかい)海戦で「祥鳳(しょうほう)」を失ったときと同じ轍(てつ)を踏む失態となった。

結果的には龍驤は囮(おとり)としてアメリカ空母を引きつけたため、この後の南雲機動部隊による攻撃でアメリカ空母を1隻でも沈めていれば、それなりの意味はあったかもしれないが…。

さらに約60機の航空機を失ったことも、生産能力の低い日本側には大きな損失だった。

一方、アメリカ軍は護衛空母などを使って19日に完成したばかりのガダルカナル島のヘンダーソン飛行場に航空機を送り込めたことから、以降の戦いを優位に進める。

それが、一木支隊の壊滅とともに、このあとに送り込むはずの川口支隊3000人を、ガダルカナル島手前のショートランド島に足止めさせた結果につながっていく。

 

(3/4ページ)【関西歴史事件簿

 その川口支隊もガダルカナル島上陸後の9月13日に飛行場を攻撃するが、一木隊と同様、1万人以上のアメリカ兵の前に壊滅したことで軍首脳部はようやく島奪回に向け、精鋭の陸兵の本格投入の必要性に気付く。

作戦が後手に回り、どう見ても劣勢に追い込まれた日本軍だったが、そんな中で1本の思いがけない戦果が入ってきた。

潜水艦「イ19」がワスプを撃沈したというのだ。

潜水艦のワスプ撃沈

9月15日午前7時50分のことだった。

ソロモン諸島の最南端に位置するサンクリストバル島(現在のマキラ島)沖を船団を伴い航行するワスプをイ19が発見する。

護衛機などを発進させている最中で、全速力で風上に向かって航行していたため、複雑な行動をとっていた。

時速55キロのワスプに対して、水中速度が時速15キロというイ19

空母のスピードについてゆけずに一時は大きく離されるが、午前9時半ごろ、潜望鏡で小さく見えていた艦影がしだいに大きくなってきた。

しかも艦のスピードが潜水艦でもついて行ける程度に落ちていたのだ。

そして約900メートルまで近づいてきた9時45分、艦長の木梨鷹一少佐は魚雷を6本発射させた。

しばらくして、命中する轟音(ごうおん)が3度した後、「ギシギシ」という艦が揺れる音が聞こえてきたため、イ19の乗組員も相当な手応えを感じたことだろう。

すぐにワスプを護衛する駆逐艦による爆雷攻撃が執拗(しつよう)に続いたが、逃げ切ったイ19が海上に姿を出した午後6時10分にはワスプの姿はなかった。

攻撃後、約6時間で沈んでいた。

ここでワスプ撃沈を報告した木梨少佐だが、イ19の戦果はそれだけではなかった。

 

(4/4ページ)【関西歴史事件簿

 ワスプからそれた魚雷3本のうち2本が、約10キロ離れて航行中のアメリカ空母「ホーネット」を中心とする別の機動部隊を襲い、戦艦「ノースカロライナ」と駆逐艦「オブライエン」に1本ずつ命中する。

ノースカロライナは当たり所が悪く3カ月間のドック入りとなり、オブライエンは修理のために本国に向かうが、真っ二つに折れて途中で沈没する。

これより前のソロモン海海戦で無傷だったサラトガが8月31日、日本の潜水艦「イ26」の雷撃を受けてドック入りしたばかりだったので、ワスプの沈没は航空支援を期待する連合国にとっては衝撃的なニュースだった。(園田和洋)

【用語解説】当時の国策映画

潜水艦を舞台にした映画は、開戦前の昭和16年に日活が製作した「潜水艦1号」のほか、真珠湾攻撃での特殊潜航艇の活躍を松竹が昭和18年に描いた「海軍」。

そして日本映画社が昭和19年、インド洋で通商破壊作戦を展開中の潜水艦に乗り込み撮影した「轟沈」がある。

「轟沈」に登場する潜水艦は映画の中で艦名を明らかにしていないが、のちに「イ37」と判明する。

昭和18年3月に就役以降、輸送船など7隻を撃沈したとされ、回天戦中の19年11月にアメリカ駆逐艦の爆雷攻撃で沈没している。

主に通商破壊目的に建造されたドイツのUボートに対し、日本の潜水艦は開戦当初から艦隊を狙うこともたびたびあった

その最大の戦果がイ19によるワスプの撃沈だった。

大戦中、ミッドウェー海戦で傷ついた「ヨークタウン」をイ168が沈めたケースもあるが、無傷の正規空母を潜水艦が沈めたのはイ19のみ。

そのイ19も昭和18年11月に爆雷攻撃を受けて、沈んでしまう。

 

イ19からの攻撃を受けて猛煙を上げる米空母「ワスプ」

イ19の攻撃を受けて猛煙を上げるワスプ(左)とオブライエン

ワスプを沈めたイ19号潜水艦

 

「小生の感想」

この戦いでまた、不運の中将「南雲中将」が出撃して来た。

山本長官は、何故免職させなかったのか?温情が仇となる。

海軍はもう官僚組織になっていて戦う組織でなく、海軍の省益を優先させるようになってしまった。

だから、日露戦争のような勝利は期待出来なかったのである。

何故、定年まじかの老いた南雲中将を使わなければならないのか?

若い勇猛果敢な指揮官は大勢いたのに、不適在な指揮官を使う理由がない。

山口多門少将のような勇猛果敢で沈着な指揮官が大勢いたのである。

しかし、海軍は省益を優先し、士官学校の卒業年度に拘り、勝てる戦を負けてしまった。

南雲中将は、真珠湾でも敵空母と戦わず、逃げ帰った。

ミッドウエイでも索敵を怠り、勝てる空母同士の戦いで4隻を撃沈された。

それから、山本長官は、大和ホテルに滞在して陣頭指揮を執ることがなかった。

東郷大将と秋山真之参謀と決定的に違う。

海軍はたるみ切っていて勝てる見込みがなかった。「馬鹿な大将、敵より怖い」があてはまる。

上級指揮官や高級参謀は、海軍を大事にして祖国日本の存亡の危機感が感じられないのだ。