「映像におけるテンポ」の続き

「このすば」から見る、アニメのテンポ 
映像における「テンポ」とは、割とこれで詰められた。2つポイントがあって、「予測」と「省略」でした。僕らが予測できる部分において、予想以上の映像が流れなければ、それはテンポが悪くなってしまう。逆に、上手いこと省略したり、予想以上の映像を流し込めば、それすなわちテンポが良くなっているということだろうと。


それで、「テンポが目に見える」例があるので紹介したい。

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これは「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」という映画の中のいち場面です。まあこの物語は手っ取り早く言うと、親の離婚を認められずに、家出した主人公は食っていくために詐欺師になった。そんで、家族を取り戻すためにお金を貯めていたんだけれど、現実上手くはいかなかった。

この場面では既に刑事に捕まって飛行機に乗せられている。それで、刑事から父親が亡くなったと伝えられる。家族という関係が無理になってしまい、もう絶望して飛行機から脱走するわけです。尊敬していた両親なわけですから。そうなると、もうすることは一つで、母親の元に向かうしかないじゃないですか。親はもう母親しかいない。次のカットの入り方が凄い。

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何を伝えたいか明確でしょう。カットの繋ぎだけで言えば、飛行場から直に母親の家に来ている。どうやって警察の包囲網を掻い潜ったんだとか、整合性は取れないかもしれないけれど、そんなものは大きなメッセージの中では気にならない。アニメ・映画によくある無駄な回想シーンなんかは必要ない。実際、そこに至った時点で示せばいいんだから。

それで、彼の家族というものは、とうの昔にとっくに崩壊していた。その事実からずっと目を背け続けていた。無垢な少女と窓越しに話す中で、主人公はその事にやっと気付くわけです。それで、もうどこへでも連れて行ってくれとなる。見てる方は、間髪入れずにカットとお話が進むもんだから没入する。没入すれば、それはつまり、自然なテンポで流れていきますよね。呼吸がお互いに合っているというか。

突き詰めると、「テンポ」とは「冗長にする必要がないところはバッサリと切るか否か」、という事にほとんどは帰結すると思います。もう少し正確に言えば、「予測できる部分は省くか、予測を裏切る映像を作るか」です。誰だって長々としたお説教なんて聞きたくないわけですから。整合性の恐怖のために、いろいろ省けない映像が多い。あとは、極めて正確に伝えたいがために、回想や無駄なシーンが多い映像も多いなあというのが最近の映像に対する感想です。だからといって、回想省いて小刻みなカット割で必ずテンポが良くなるかと言うと、そうでもない。