プリンセスプリンシパル:第8話『case20 Ripper Dipper』感想

光に近づけば熱に焼かれ、闇に沈めば魂が腐る、どこに流れ着いても地獄絵図なヴィクトリアン・スパイ・トラジディー、第8話であります。
静かな監視任務の中で過去と現在が交錯する今回は、プリンシパル構成員のオリジン開陳の最後を飾るアンジェ&プリンセスの過去回。
"王子と乞食"ならぬ"王女と掏児"の入れ替わり劇、そこに秘められた尊き思いと、引き裂かれた夢。
過去がわかることでこれまで輪郭しか見えなかったプリンセスの内面、アンジェの思いに色がつき、彼女たちを取り巻く奇縁が色濃く映えるエピソードとなりました。


というわけで、甘ちゃんアンジェがスリガールとイチャコラしつつ、過去を思い出していく今回。
王女と掏児の入れ替わりトリックを説明し、プリンセスの王国簒奪の動機を解説し、二人のシャーロットの絆を解明する、一種の謎解き回とも言えます。
今回説明された部分は意図的にフックとして描写され、視聴者の興味を引き、『この子達は一体何を隠しているんだろう?』と前のめりにさせる機能を持っていました。
『黒蜥蜴性の御伽噺』という名目で、これまでの疑問がパタパタと表に返り、点と点がつながって納得が生まれていくのは、とても大きなカタルシスがありましたね。
何より、これまで感じていた彼女たちの優しさと尊さが嘘ではないこと、それを真っ当に貫き通せない現実のやるせなさが胸を突いて、感情のうねりが凄まじいことになった。

スパイが似合わぬ心優しい少女たちが、何故嘘と銃弾を武器に血なまぐさい商売に飛び込み、地獄で踏ん張って戦おうとしているのか。
ここまでのエピソードは任務の合間に少女の過去を見せることで、モチベーションとオリジンを確認していく共通形を持っています。
今回もその系譜に従い、アンジェとプリンセスの因縁、そこに込められている感情を確認していくわけですが、話の主役であり、王国の腐った屋台骨を支えている差別の構図に強い反発を持っている二人は、ただの登場人物ではない。
彼女たちの過去と願いを描くことは、物語全体がどこに進むのかという絵図を描く行為であり、キャラクターと物語が目指す遠くて高い理想の星を、切なく輝かせもします。

『私は空っぽだから、外側を塗り固めないといけないの』というプリンセス=アンジェの言葉は、幼少期のプリンセス=シャーロットが(そして入れ替わり後、アンジェが)閉じ込められた、王室という名前の牢獄にも通じています。
性差別、身分差別、職業差別、国籍差別。
経済的格差、住環境の格差、労働環境の格差。
これまでもこのアニメは、スチームパンク・ロンドンの上層階級が踏みつけにしているものを丁寧に、さり気なく、あるいは話のど真ん中に据えて露骨に描き進んできました。
かつてシャーロットが排そうと願った『透明な壁』に、国家中枢が仕切られているからこそ、ダニー・マクビーンは取り返しのつかない貧困に落ち、デイジーは父の死を知らないままパブで唄を歌った。
第6話(そしてそれ以外の物語でも)でたっぷりしんどい思いをした視聴者としては、王城の牢獄に合いた穴から抜け出しロンドン下層を肌で感じ、清廉なる理想を抱いたふたりのプリンセスを、強く支持したい気持ちになります。

儀礼と義務に全身を蝕まれていたシャーロットが、初めて手に入れた親友。
それは牢獄に開いた穴であり、王族として暮らしていればけして知ることはなかった現状を教えてくれる窓にもなりました。
革命が二人を切り分けなければ、シャーロットの理想はそのまま彼女が背負ったのでしょうが、運命の悪戯で入れ替わってしまったアンジェは、シャーロットの見た夢を守り続けます。
スラムで『悪い親』に殴り飛ばされ、飢えに苦しむ生活から真実自分を開放してくれるかもしれない、美しい理想。
飢えてもいないのに王都を繰り返すような王宮牢獄に耐えられたのも、あの時シャーロットが見せた『プリンセス』としての輝きが、アンジェの胸の中にあったからでしょう。

それは同時に呪いでもあります。
第3話冒頭で見せ今回繰り返されたように、シャーロットが掏児より悪い間諜に堕していった中で忘れてしまった公益性を、プリンセスは保持し続ける。
王国もコントロールも欺き、幼い時二人で夢見た『より善き世界』を実現する危うい計画のために、スパイを続ける決意。
それは緑色の美しく幼い夢と、優しいお姫様が与えてくれた気高さが胸に突き刺さった結果生まれた、王女の決意なのでしょう。


今回のお話は、掏児の少女・ジュリを媒に、過去と現在が交錯する作りになっています。
かつてのアンジェによく似た少女をどうしても見捨てられず、『作戦への利用』という形式を整えて守ってしまうシャーロットの弱さ、脆さ、優しさがそこで再演される。
それは同時に、強者が弱者を、弱者がより弱いものを食い物にするロンドンの構造が、一切変化していないことも示しています。
プリンセスたちが胸に秘めた最大の秘密、既に達成されていたチェンジリング作戦と、二人をつなぐ『透明な壁の破壊』という理想が果たされなければ、子供が足蹴にされる状況は延々繰り返されるわけです。
回想される『アンジェとシャーロットの楽しい日々』に、さり気なく『識字』のシーンが入っている辺りに、教育を略奪されるスチームパンク・ロンドンへの強い反逆を感じます。

第1話、並びに第6話で描かれた関係者の末路を考えると、アンジェの言う『証拠隠滅』は情と建前を両立させるための、一種の魔法であることが分かります。
スパイ戦争は弱者を巻き込む巨大な歯車であり、何もしなければ秘密を知ったジュリ達子供は始末されてしまうかもしれない。
それより先に、自分の望むより良い結末にかつての自分たちを逃してしまう優しさは、やっぱりスパイには向いていません。
しかし人間としてはあまりに上等な行為であり、それは幼い時共有した理想の輝きを守り続けたプリンセスも同じ。
お互い向いていない職業につきつつ、かつての約束に必死にしがみついている姿は儚く、脆く、尊いものでした。

今回アンジェから過去が語られたことで見えた重なりは、他にもたくさんあります。
嘘の上に嘘を塗り重ねて、極限を生き抜く。
チェンジリング作戦で入れ替わる前から、ふたりのプリンセスは王宮とスラム、王女と間諜に別れつつも同じ生き方をしてきました。
王女から間諜へ変化し、下層の地獄で生き抜いてきた自分の苦労ではなく、王宮牢獄の中で己を王女として磨き抜いたアンジェの物語を語ってしまう辺りに、シャーロットが何を一番大事にしているかが、よく見えてきます。
そらあんだけの輝きをもらって、ああいう別れと再会をしてしまったら、プリンセス好き好き病にもかかるわな。
そしてもうひとりのプリンセスへの愛を胸に隠して、必死に生き抜いてきたアンジェもそれは同じと言うね。

シャーロットが頑なにアンジェを『プリンセス』と呼び続けるのは、自分が滑り落ちてしまったレールを決死に走りきり、虚無に高貴なる内実を詰め込んだ努力に、敬意を払っているからだと思います。
己をシャーロット(に通じる『C』の偽名)で呼ばないのも、既に消えてしまった過去への決別の意志……だと思ってたんですが、昔のアンジェを思い出させるジュリを前にして、Chloeを名乗るのは面白いところです。
Caseを20も重ね(そのほとんどは僕らの眼からは見えないわけですが。見てぇマジ)、嘘の仮面で覆い切れない情と想いでが、今回吹き出た形かなぁ。
アンジェが必死に守ってきた『昔の自分』を行いの中で見せつけられることで、シャーロットだった時代の夢、諦めていた公益性へのアプローチをもう一度、夢見る気になったのかもしれない。
それが切れて落ちること前提の、カンダタの糸ではないことを願いたいところですが……ホントなー、この『クソほど女の子たちが真っ直ぐ生きられるよう応援したいんだけども、これまで描かれてきた世界の厳しさを考えると呑気に信じきれない』塩梅は巧すぎる。
ここにもどかしさがあるからこそ、ベストエンディングへの希望がメラメラ燃え上がるし、応援して苦境を乗り越えてほしいって気持ちもバリッバリ強くなるからなぁ……ズリーアニメだ(最上級の褒め言葉)。

明るく清潔な白い光に満ちた王城から、不可思議な緑の光に包まれた友情の時間を経て、煤けた闇に満ちたスラムへ。
そして戦火の赤に切断される二人と、ライティングの変化がとても印象的な回でもありましたね。
かなり統一された照明言語で演出力を出しているアニメなんですが、主人公アンジェの特権的なパワーであるCボールの光と、少女たちがスパイの仮面を剥がして何かの真実にたどり着く時のライティングが『緑』で統一されているのは、なかなか面白いです。

理想を縦断と血で踏みにじるスパイのリアリズムを描きつつも、それに殺されきれない少女たちの生き様、若葉のように萌えていく生命の輝きをひっそり、力強く大事にしているこのアニメ。
『緑』は凄く大事な色なんだろうなぁ……ジュリがアンジェに送った真心も、緑色の花だったなぁ。
ブドウだとすると花言葉は『好意』『親切』『酔いと狂気』『人間愛』か……なかなか難しい暗喩だな。
麗しき思い出という美酒が、勝利の盃となるか残酷なる毒杯となるか……ディオニソスの加護を願いたい。


このアニメにおいて、『父』なる存在はこれまでもエグみ満載で描かれてきましたが、過去のアンジェの父と、暴力に礼をいわせるジュリの『保護者』の描き方も、その路線を継承しています。
各エピソードが基本的に『父』の長い手から開放される物語(それは大概、飲みきれないほどの苦味を孕んでいますが)であることを考えると、このアニメには『娘』と『父』の隠微なる支配/解放闘争の構図が、ひっそりとはめ込まれています。
女たちを踏みつけにし、傷つけ、自由と尊厳を奪いつつ居場所を規定する『父』。
その最たるものが、スパイマスターとして共和国と王国に君臨する二人の『父』、Lとノルマンディー公なのは間違いありません。

貧民や弱者、女性、異国者、身体障害者、過去を奪われたもの、他に生き方を見つけられないもの。
『透明な壁』に道を閉ざされた者たちを踏みつけにし、国家を駆動させる巨大な歯車を回転させる『父』たち。
彼らはプリンシパルたちを時に支配し、時に支援しながら物語が進んでいるわけですが、ここまでの物語が軒並み『父』との正面衝突を避けつつ、強かにその影響から這い出していく展開であることを考えると、終わりもまた一筋縄ではいかない印象を受けます。
『父』たちが当前視している二国分断、下層蹂躙のスチームパンクロンドン、その駆動装置としてのスパイゲーム。
嘘と銃弾という『父』たちの武器ではなく、少女たちが己独自の武器を手に入れた時、支配の構図が逆転するきっかけが生まれるのかもしれません。
Cボールの緑の福音を受けることで、鞭を振り下ろす『父』の支配からジュリが逃れ、孤児院という新天地に流れ着いた≒『父』が用意した支配領域とは別の場所を開拓した結末が、プリンシパルの未来を暗示していることを、僕は望んでいます。


王女と掏児のあまりに切なく、あまりに重たい関係性が軸となっている今回ですが、サブキャラクターの描き方もまた良かったです。
謎のコウモリ小娘としてコメディ・リリーフ担当……と思っていたちせが、プリンセスの内面を鋭く見抜く心眼を発揮したり、プリンシパル全体に通じる問いを投げたり、かなり大きな仕事をしていました。
『何故、そんな修行僧みたいな真似ができる』と、王族の勤行を果たすプリンセスに問うた言葉は、自分を含めてプリンシパルの優しいスパイたち全員に届く言葉でしょう。
『修行僧』ってのが言い得て妙で、アンジェがプリンセスで居続けるための苦行を支えているのは、シャーロットが見た理想、シャーロットが見せてくれた温もりへの信仰以外の何物でもないしね。

それはちせが自分で答えていますが『楽しいから出来る』ことなのでしょう。
はたから見れば他人を騙し、自分を殺し、苦難の道を進んで歩いているように見えても、過去の思い出が背筋を伸ばし、苦界に立ち向かう力をくれる。
ちせにとっての剣術も、己の手で師であり父であるものの命を奪っても『楽しい』ものであり、生活を支えてくれる柱。
ドロシーの酒にしても、ベアトの機械いじりにしても、父≒過去との辛い接点でありながら、幸福な思い出でもあるからこそ続けられる、矛盾した糧なのです。

そしてそれは、スパイという生き方、プリンシパルという集団にも共通しているように思います。
可能ならば奪うことも騙すこともせず、世界を覆う『透明な壁』をぶち壊して生きたいと願いつつも、それとは正反対の賤業に身を投じ、日々を活きるしかない苦しみ。
それを耐えることが出来るのは、勿論そこに流れ着いてしまった運命への諦め、心のなかで輝く想いでもありましょうが、今まさに少女たちが繋がり、感情を脈動させる絆があってこそだと思います。

誰もいないホールで、アンジェとプリンセスを切り分けるレイアウトの『透明な壁』を乗り越えて、再び引いた連弾。
あるいはドロシーとベアトがパブで歌った労働歌、ちせの墓参りに見せた気遣い、皆で頑張った工場、偽りながらも輝く学園生活。
スパイの薄暗さ、舞踏会場の煌めく欺瞞、下層の溝と同じくらい力を入れ、鮮明に描かれている青春の輝きこそが、彼女たちを苦界で生き残らさせている、とても大事な光なのではないか。
僕はそう、強く感じます。


プリンセスは『私は空っぽだから』と卑下しますが、では『機械人間』と差別されたベアトを拾い上げ、守った行いもまた虚業なのか。
入れ替わりの中で託された誓いを胸に、己を真のプリンセスに相応しい存在に磨き上げていった努力は虚しいのか。
『そうではない。あなたはもう、本当のプリンセスよ』と告げたシャーロットの言葉は、言葉にされないプリンシパルの仲間たちからの餞であり、彼女の生き様を感じ取った僕ら視聴者が心から届けたいメッセージでもあったのだと思います。

貴族の子供は貴族、下層民は一生下層民のまま。
スチームパンクロンドンを形成する『透明な壁』の迷宮はしかし、その最上層にいる『元掏児・現王女』が虚無の中に詰め込んだ理想と強かさ、決死の努力で既に崩れかけているわけです。
更に言うならば、アンジェが挑んだ王城牢獄……『最下層から最上層への浮上』と逆コースの『最上層から最下層への落下』を(それが人倫と彼女自身の幸福にとって是か非かの論は一旦横において)走りきったシャーロットもまた、上層と下層を隔てる『透明な壁』をぶち抜く実例です。
それが革命と生存に煽られ、そうせざるを得なかった強制の結果だとしても、生き抜くために決死の努力を積み重ねたふたりのプリンセスが証明しているものは、大きいし重い。

人は変わることが出来るし、そのための穴を適切に開けていく行いは正しい。
第6話のどん底と、第7話でのそこからの逆転を鑑みても、世界に蓋をする重たい現実には、変化の兆しが開いているし、もしかしたらプリンシパルのスパイたちもそれを掴み、突破することが出来るかもしれない。
そういう薄っすらとした緑色の光がちゃんと描かれているのは、『少女とスパイ』という題材をオタクカルチャーの中で料理する時陥りがちな、露悪主義の落とし穴から上手く身を逃す、巧みな体捌きだと思います。

無論希望は絶望に、夢は現実に接合されています。
少女たちが抱く美しい夢と同じか、それ以上の重たさでこのアニメは沢山の死と裏切り、差別と嘘を書いてきた。
そこにしっかりと重力があるからこそ、因業の泥に腰まで浸かりつつ飛躍を目指す少女たちの行いに、ぎりぎりの真正さが宿っているのだとも思います。

あんな地獄を前にして、彼女たちはまだ諦めていない。
それはとても苦しいことで、同時に尊いこと、思わず応援したくなることでもあります。
危うい土台の上に乗っかったプリンセスたちの秘密改革が、あまりに業に満ちた世界の中でどこにたどり着くのか。
スチームパンクロンドンが放つ蒸気は、あまりに熱く有毒ですが、それを乗り越えて光ある岸を掴み取って欲しいと、強く願えるエピソードでした。