プリンセス・プリンシパル:第12話『case24 Fall of the Wall』感想

嘘と暴力にまみれたスチームパンク・スパイアクションもついに最終話!
革命と壁の破壊、抑圧が解き放たれた後の無秩序の残影を前に、嘘の王女がカリスマを発揮して破滅を押しとどめ、スパイに向いていない女たちが友のために走る。
先週国家レベルまで拡大した物語を、Lの帰還によるコントロールの回復、それに伴うプリンシパル個人の変化へと巧く収束させ、『偽物女王とスパイの戦いは続く!』という形で収めました。
抑圧、嘘、透明な壁と天井、差別と搾取、陰謀と暴力。
友情、変化、誠意と真実。
これまで描かれた要素もしっかり拾い上げて、少女と国家装置の物語として余韻のある終わりに、しっかりたどり着いてくれました。
とても良い最終話だったと思います。

というわけで最終話、終わっているようでいて終わっておらず、それが不徹底とも広がりとも取れる、なんとも複雑なラストケースとなりました。
諸要素の拾い上げ、個人と集団のバランス取り、ここまでのエピソードが産んだキャラクターの変化。
プリンシパル構成員の内的変化の物語としてしっかり手応えがあって、プリンセスが社会に挑む物語としてはまだまだ続きがある、なかなか良いところに落とした終わりだと思います。

イングヴェイが挑み殺された、巨大な抑圧装置としての王国との戦いをプリンセスがどう継承し、どのような結末にたどり着くのか見たかった気持ちもありますが、それを1クールで描ききれないからこそ、『24話をシャッフルし、間を飛ばして視聴者の想像力で埋めてもらう』という、変則的な形式を選んだのでしょうしね。
望むことが許されるなら、今回の決着のその先を是非見たいけども、それが語られなかったとしても馥郁たる想像の余地を残す、良い終わりでした。


さて、前回が個人→組織→国家と物語の大きさが拡大していくエピソードだったのに対し、今回は国家→組織→個人と収束していくエピソードとなります。
何しろ最終話、12話(あるいは存在してないCaseを数えて24話)の物語を一旦納め、『ああ、いいアニメだった』と思わせるためには風呂敷を広げていくよりも、とりあえず畳んで個人レベルの決着をつける方向に進んだのは、とても良い判断だと思います。
スケールのデカさを強調するためにバンッバン拡大して終わるのも悪くないけども、個人レベルの感情をしっかり描いてきたこのアニメには、誰も死なず、敵も味方も元の鞘に納まる『革命失敗』エンドがちょうど良いのかもしれません。

しかしだからと言って、ここまで描いてきたスチームパンク・ロンドンの臓物……被差別階級の生き血をすすって成立する王国と共和国の対立が、添え物になったわけではありません。
イングヴェイという作中初の『良き父』と、ゼルダという『終わりの文字を持つ女』をエピソード・ゲストに迎え、国家と組織のレベルに対立を拡大したことで、プリンセス=アンジェが10年間王女を演じたことで何を手に入れたのかが、非常にクリアに見えました。
結果として革命は未遂に終わり、ゼルダ(が代表する、共和国の暗部)との決着も、ノルマンディー公(が代表する、王国の暗部)とも決着は付きませんでしたが、プリンセスが何を背負い、何と戦うのかは非常に明瞭になった。
それは王族という『人間化された国家』に押し込まれ、ゲロ吐きながらノーブルを演じてきたプリンセスの『嘘』が、王女として国家上層で行った静かな戦いと、スパイとして下層を這いずり回り現実を見た激しい戦いに鍛え上げられ、本物になった瞬間でした。

天井を落とす。
上層を叩き潰して皆殺しにし、下層と入れ替えるイングヴェイの武力革命は、非常に象徴的な方法で執行されようとします。
元々掏児のクソガキ(この時の技術がサスペンスを乗り越える一手になるのは、非常に良い演出でした)だったプリンセスも、イングヴェイ(おそらくスカンディナビア出身。意味は『最初の男』。正に)の義憤と同じものを背負っている。
しかし銃弾飛び交うスパイの世界を経験してなお、プリンセスは武力による急速な革命ではなく、自分が正当な手段で玉座を継承しての変化を望む。
むしろスパイの現場で、藤堂親子が大義を背負って殺し合う姿、巨大資本によって洗濯女がすり潰されようとする瞬間、透明な壁に引き裂かれたマクビーン親子の悲惨、そして間諜に身を落とし感情に蓋をしたシャーロットの姿を見たからこそ、銃弾と嘘で全てを決着するスパイ……ゼルダの方法論は、どうしても受け入れられなかったのかもしれません。

ゼルダは『ジェリコのラッパはもう鳴った』と言います。
旧約聖書ヨシュア記において、神に約束された地を目指して行われたエリコの戦い。
そこにおいて民が角笛を吹き鳴らすと、無敵を誇ったエリコの壁は破壊され、瓦解します。
ヨシュアは勝利とともに呪いをかけ、エリコの再建を目指すものはその子孫を失うだろうと宣言する。
イングヴェイの落とそうとする『天井』は、その後に何も残さない完全な破壊であり、『透明な壁』の破壊を望む願いを遥かに超えて、暴力の嵐を呼び起こすものです。

しかも、エリコの戦いにおいては人民の支持によって握られていたラッパは、あくまで軍部の一部隊が敵国のスパイによって踊らされた、失敗前提の革命でしかない。
結果として、プリンセスの至誠赤心の説得によって革命は翻意されるわけですが、仮に実行していたとしても、人民の支持を得ない性急な行動は実を結ばなかったでしょう。
穏当なる変化によって人民に革命のラッパをもたせ、透明な壁を破壊する福音を吹き鳴らす長の役目は、イングヴェイの聖絶を受けてプリンセスに継承されたわけです。
その行き先が不毛のエリコではなく、乳と蜜の流れるカナーンであることを僕は願っていますが、そこに行き着くまでの荒野は、とても険しそうですね。


元々エピソード・ゲストの使い方が非常に上手いアニメではあるんですが、妻子ゅうエピソードを支えるゼルダイングヴェイは、非常に巧妙な立ち回りとキャラクターとしての魅力を兼ね備えた、強い客演でした。
あらゆる状況で容赦なく、油断もなく、苛烈なスパイ主義を突きつけてくるゼルダは、プリンセスとプリンシパルが取り囲まれた世界(王室であり、コントロールの作戦室でもある)の体現者です。
全てを銃弾と嘘で解決し、情や誠実さを地面に投げ捨てて、国家という巨大装置に歯車であろうとするゼルダ
彼女が説得力のあるアクション(ここまでアンジェの独占兵器であり、主役の強さだったCボールを使ってくる所が巧い)で、全く迷いのない銃弾で、あるいは見事な引き際で『スパイ』を体現するからこそ、『スパイである前に人間』であるプリンシパルの中途半端さと、それが持っている救いも際立ちます。

ここまでの物語はそういう、無慈悲で巨大な装置に挟み込まれた少女達がいかに生きていくのか、いかに反抗するか、という物語だったわけで、ゼルダという非人間的なまでに有能なスパイ装置がいることで、お話全体が集約しているわけです。
同時に彼女は対話可能で対決可能な一個人ですので、彼女とのアクションが集結することが、即ち巨大な装置との対峙が一旦水入りとなり、物語が収束していく合図にもなる。
拡大した物語を俯瞰で描写し、12話かけて作り出した豊かさを反響させると同時に、物語が落着してちゃんと終わる感覚をしっかり与える、見事な配役と演出だと思いました。

ゼルダが『嘘と智慧と銃弾』という『スパイと政治の世界(『父』の世界と、ここまでなら言っても良かったんだけども、ゼルダが加わったことで男/女は無条件な敵/味方の線引ではなくなったわな)』を担当するのなら、イングヴェイは『真実と愚かさと対話』が武器となる『人間の世界』を代表しています。
スパイに踊らされ、スパイの方法論で世界を変えようとした彼は、スパイでありながら人間であろうと、暴力以外の革命を模索する愚かな理想主義者のカリスマを前にして、ラッパを手放す。
テロル以外ないと確信できるほどに追い込まれた男に、『この人が、我々に筆頭なプリンセスだ』と確信させ、不正義と抑圧への怒りを信認させるほどの『真実』が、プリンセス=アンジェにはあったわけです。

それは10年前の革命(Changeling)により、本当のプリンセス=シャーロットから期せずして略奪した『嘘』なのですが、ゲロを吐くほど真摯に、命がけで悩み、挑み、ときに血を流して戦い続けた結果、『本当』になっている。
その背景には、自分もまた掏児のガキとして殴られ、踏みつけられ、抑圧されてきた『アンジェとしての実体験』が分厚く横たわっているのだけども、プリンセスとしての『嘘』の生活を経て、それは変化している。
『スパイの世界』と『王の世界』を両方体験したからこそ、社会的にはプリンセス……『差別する側』でありながら、『差別される側』の苦悩を己の痛みと感じ、切実さを込めて改革を望み、その果てに首を落とされても構わないと断じる強さを、プリンセス=アンジェは手に入れました。

アンジェ=プリンセスがそこに踏み込めた……イングヴェイが代表し、また鍵を手放して帰還した『人間の世界』に向き合えたのは、プリンシパルの仲間、アンジェ=シャーロットがいるからです。
友を傷つけないために遠ざけても、スパイではなく友達として力を貸してくれる仲間という、個人レベルの安住の地があればこそ、プリンセスは大義に向き合えるし、背負った大義イングヴェイを動かし、性急な悲劇を避けることが出来る。
アンジェ=シャーロットが王室という『家庭=牢獄』から放り出され、『スパイ製造工場(ファーム)』に流れ着いて閉じてしまった、人間としての繋がりを信じる心。
それこそが、偽物の姫君に理想への道を示す、唯一確かな足場なのでしょう。

イングヴェイは躊躇いのないゼルダの銃弾によって撃ち殺され、植民地の抑圧された意思はすくい上げられることなく消えていきます。
霧と排煙烟る街角で、労働災害が頻発する工場で、この世の果てのようなモルグで、あらゆるスパイと労働者と障害者とアルコール依存症患者と女と子供と外国人が追いやられた世界の果てで、ずっとそうであったように、弱者の声は鳴り響かない。
ジェリコのラッパは、未だ人民の手に届きはしない。

そういう意味では、このアニメはまだまだ『続く』物語として、捻れた形で『終わり』ました。
プリンセスの自己実現の物語としても、歪みを内包したアルビオンの帰結も、未だ語られきってはいない。
イングヴェイの、委員長の、ダニーの、モーガンの、あるいはキンブルの。
国家装置という巨大なジャガーノートに踏み潰された弱き人民の声がついに報われる瞬間は、決定的には描かれません。

しかし、今回プリンセスが見せた嘘偽りのない赤心の覚悟が、イングヴェイに届いて未達の革命をとどめたということ、そこで生まれた絆と痛みを背負って、プリンセスがまだ走り続けるだろう期待は、嘘ではありません。
ここまでプリンセスとプリンシパルを振り回し続けた『嘘』の論理を、プリンセスという『嘘』を本気で生きることに決めた少女の叫びが一瞬、揺るがせたこと。
それはあまりにも巨大な『透明な壁』……ジェリコの城壁を穏当に打ち砕く未来に、繋がり得るのではないか。
そういう希望と期待と確信を、僕は今回のプリンセスの描き方から、十分以上に感じ取ることができました。
いやマジ、プリンセスの個人的で社会的な今後の闘争を見たい……あまりにガチ社会運動過ぎて全然受けないだろうけども見たい……。


国家と組織の巨大な歯車に巻き込まれつつ、個人として、人間としての『真実』を叫ぶことでイングヴェイ個人と、彼が破壊しようとする社会と向き合ったプリンセスですが、その代償は大きい。
人間性を喰らい尽くす巨大な装置の尖兵として、ゼルダは正しく容赦なく、太ももの動脈を撃ち抜いてプリンセスの命を危険に晒します。
この危機に間に合い、カサブランカでの全員集合というエンディングをもぎ取ったのは、プリンシパルの仲間の協力あってのことです。
プリンセスが『個人』として『公共』に向き合う中、プリンシパルという『組織』の強さを再結集し、個が巨大な装置に殺される瞬間ギリギリに間に合った構図、といえるかな。

その中心にいるのはもうひとりのプリンセス、アンジェ=シャーロットです。
ここまでもずーっとプリンセス好き好き病の片鱗を見せまくってきたアンジェですが、偽りの拒絶に心をベコベコにされ、『アンジェとして逃げて生き延びて!』という遺言に込められた巨大感情に当てられて、すっかり黒蜥蜴星人の面影はぶっ飛んでます。
元々情の強い、共感性の高い子だからこそ、掏児のクソガキの悲惨な境遇に同情し、自分の立場を活かして国を改革するという夢を見たんだろうしなぁ……。
そういう『真実』に蓋をして、嘘ついて銃打ってだまくらかしての『人間である前にスパイ』の生き方を続けるには、『嘘』という仮面が引き剥がせないくらいに、『嘘』と同質化する必要があったのでしょう。

アンジェがプリンセスの前だけで人間になる、相当愛情の偏ったイキモノであるというのは、例えば第10話の委員長への対応とかからも見て取れます。
プリンセス=アンジェが(かつてシャーロットが持っていた)公平な同情心をフル稼働させているのに対し、シャーロット=プリンセスは他者への共感性を虐殺することで、なんとか生き延びてきたのだなぁ。
アンジェがアンジェとして貧民街を這い回っていた頃は、もしかすると他人に同情するような余裕は一切なく、その荒廃が10年のアンジェ生活で入れ替わったのかもしれんね……哀しいチェンジリング作戦だな。

とまれ、どれだけ心を押し殺してもプリンセスを前にするとすーぐ甘い声になっちゃうのがアンジェ。
ポシェットの中の思い出を確認し、自分の想い人が自分と同じ夢を摂取して生き延びてきた過去を確信するなり、即座に船倉に火を付けます。
『良き希望』をボーボー炎上させてでも、愛する人の待つ苦界に降り立とうとする辺り、完全に娘道明寺だな……プリンセスが無責任な安珍でなくてよかった。

愛のためなら世界も殺す、やけっぱちとも言えるアンジェの倫理的荒廃は、コントロールの構成員に銃弾を叩き込もうとする。
それは第1話のラストシーンに彼女が帰還しようとしている逆走であり、ゼルダがプリンセスを撃った論理と己を同化させる、危うい前進です。
それを押しとどめるのが、父親と委員長をスパイのロジックで略奪されてなお、『人間で友達』であろうとする女、スパイにあまりにも向いていないドロシーなわけです。

アンジェはプリンセス以外必要のない、狭い世界に生きているつもりでも、プリンシパルとして歩んできた日々は、たしかに何かを生み出していた。
この倫理の土壇場がプリンセスたちが日常を過ごした博物学的隠れ家で行われているのは、非常に象徴的で、アンジェとドロシーは銃弾とアンモナイト、どちらが世界を支配しているのかを争っているとも言える。
第7話ではちせの握ったアイロンが『スパイの世界』を否定したわけだけども、今回はアンモナイトの標本とドロシーの手が、アンジェ(と、彼女が帰還することで間一髪救命されるプリンセス)を守るわけです。

相変わらずギャーギャーやかましく可愛らしいベアトにしても、一宿一飯の恩義を返しに来たちせ殿にしても、プリンシパルが過ごした日々はアンジェの『嘘』の仮面を貫通し、彼女本来の柔らかな人間性を漏れ出せていた。
それが、泥と誇りに遊んでいた白い衣装を改め、プリンセスを装えるだけの強度と清潔さを持った外装、あるいはスパイとして鉄火場に飛び込める武装を用意してくれる。
ここでもまた、個人の想いは個人と繋がり、集団となり、変化を生んでいます。
イングヴェイを相手にプリンセスという『嘘』に秘められた『真実』が明らかになる過程と、プリンシパルを前にアンジェを守ってきた『嘘』が人間としての『真実』に変化する、あるいは適切な形に再武装される過程が同時並列で展開するのは、非常に巧妙ですね。

今回はちせの変化の描き方も、コンパクトかつ巧妙だったと思います。
第4話や第9話では置いていかれること、馴染めないことに心を波打たたせていたちせは今回、プリンシパル最大戦力としてアンジェに付き添い、緑の光に包まれて飛び上がる。(第5話の再演!)
その前段階として、堀川公への忠義と友への友情を秤にかけて、後者を取る変化がある。
滅びた幕府に忠義を捧げ、遠い異国の地で死ぬしかなかった父とも、新政府の番犬として父の命を刈り取るしかなかった過去の自分とも違う生き方を、主君に提示し認められる。
アンジェが生き様の土壇場で友の手を取り、プリンセス以外を切り捨てる苛烈な生き様から離れたように、ちせもまた、己の過去から飛び立ったわけです。
まぁ堀川のおじいちゃん、ちせ大好き病患者だから当然認めるだろうけどさぁ……カサブランカまで付いてきてるし。


そんな仲間の手を取りつつ、結局アンジェ=プリンセスもシャーロット=プリンセス=アンジェも、お互いが一番大事で、他の人には許さない握り方で手を取り合う。
そこにレズビアニズムとかフェミニズムとか、色々見て取ることも出来るでしょう。
カサブランカでの二人のやり取りに、否定しようのないエロティックへのほのめかし……太ももを貫通して溢れた命の証明を引き継ぐ、生/性の躍動を見るのは、僕がクソ百合厨房だからってだけではない、かなり正当性のある読みだと思っています。
意図しないチェンジリングにより、名前=社会的承認記号が二人の間で既に交換されている(シャーロットはアンジェとなり、アンジェはプリンセスとなった)ことに、婚姻と性交(体液/身体境界線の交換)のメタファーを見ることも可能でしょう。
よりにもよって、パラシュートの遺言状は『緋文字』だしな……ホーソンのは男女の姦淫だが、あのクソ抑圧社会が同性愛を許容しているとは当然思えんので、二人の思いが明言されれば『赤いA』が刻まれるだろう。
しかしまぁ、それが恋なのか友情なのかって区分は、これだけ人格の深い部分にお互いが食い込んでしまう……Changelingが幾層にも積み重なってしまうと、意味をなさない気もします。
いや、全然ゲイでいいんだがな当然。

スパイという非人間的で、抑圧され、己を殺して組織の歯車となる生き様を選んだ(選ばざるを得なかった)少女が、愛する唯一人だけではなく、そこから離れた特別な誰か達の手を取るまでの。
あるいは、プリンセスという牢獄、壁の破壊という約束と呪いに縛り付けられた少女が、嘘の中で改革への理想を己のものとして、最も王族らしいノーブルさを体得/証明するまでの。
ふたりのプリンセスが絡み合う物語に必要なだけの感情を、今回のエピソードは、そしてこのアニメは映像に、色彩に、演出にしっかり載せて届けてくれました。
そういう熱があればこそ、ペダントリーでありつつそこに拘泥しない、うねりのある物語が躍動可能だったのでしょう。
設定たくさん作るとベラベラ喋りたくなるけど、その誘惑を頑張ってこらえて、絵で喋りドラマと感情で食わせるよう、徹底して進めていたことは、強く尊敬に値すると思います。

設定と言えば、軍部と政府によるコントロールの椅子取りゲームは、あくまで少女達の土壇場を加熱するための外部装置として描かれ、メインカメラが振られることはありませんでした。
なんで軍部がしゃしゃり出てきたのか、Lが一時的にとはいえ椅子を蹴落とされたかは、『スパイには関係ない政治の世界』として思い切って省略され、その分個々人の感情を強く掘り下げる方向に舵を切った。
その熱量で視聴者(と言うか僕)を引きつけ進んできた以上、圧倒的に正着だと思います。

L(が代表する共和国の政治装置)は、王国との『熱い戦争』を現状望んではおらず、それが王国の政治装置を掌握しているノルマンディー公の陰謀気質と噛み合って、現状の均衡状態が維持されているんだろうなぁ。
その危うい均衡の上を、プリンセスとプリンシパル達は橋の欄干に足を乗っけるかのように、危うく揺らぎながらなんとか生存している/生存を許されている/空気姫のお遊びと見逃されている。
その結果がカサブランカへの休暇なわけだけども、そこはアンジェが夢見たような永遠の愛の家ではなく、一時的な宿り木にすぎない。
革命という王国殺人事件に、遺留品として残された白い帽子(プリンセスのポシェっとの中の、幼少期の名残としての帽子との照応に注目!)を前に、ノルマンディー公もほくそ笑んでいます。

少女達が取り戻した、少し変化した日常はあくまで危うく、ゼルダやノルマンディー公、あるいはもしかしたらLが体現する『スパイの世界』と常に接触しています。
しかしそれと同じくらい、過酷な世界の中で人間たちがうねり、少女達が触れ合って生まれる変化は、アンジェに起きたように個人的に、あるいはプリンセスが決意したように公の方向に向けて、前へと進んでいます。
それが何か決定的な、人間が人間らしく生きられる『透明な壁のない未来』へと続いているのだという希望、あるいは確信を、しっかりと得ることができたからこそ。
この終わっていない最終回に、僕は強い満足を覚えているのだと思います。
とても良い最終回、とても良いアニメ、とても良い物語でした。


というわけで、プリンセス・プリンシパルが終わりました。
少女とスパイという題材をスチームパンクでくるみ、ヴィクトリア朝ロンドン(が延長する世界として、グローバル資本主義が荒れ狂う現在)の抑圧を睨みつけ、青春期の人間性を切り取る物語でした。
喧嘩しそうな各要素のバランスを巧妙に取り、それぞれがそれぞれを支え、対立し、あるいは引き立てる素材として、見事に料理してくれました。
ときにどうにも出口のない世界の息苦しさを、ときにそんな場所に差し込む一縷の光を、笑いと血、日常とアクションを適切に取り混ぜてバラエティ豊かに楽しませてくれる、良いアニメでした。

女の子たちは可憐で、強く、己の身に刻まれた業を必死に生きている、好きになれる子達ばかりでした。
世界の巨大さ、苛烈さが的確に描かれているからこそ、そこにすり潰されてもなお光を放つ個人の意志、特別な誰かへと向かう感情の強さが、より激しく感じ取れる。
時に情け容赦なく大切なものが踏み潰されるからこそ、それでも失うことが出来ない心のなかの光が、それを失ってしまった者たちの冷酷さが、より精錬に受け止められる。
スパイと少女、二つの題材が孕む甘さと苦さを、最大限に活かして料理してくれたと思います。

スチームパンク・ロンドンを成立させるための莫大な世界設定、社会情勢、権力・経済の設計図を積み上げつつ、あくまで物語を加速するための燃料としてボーボー燃やす気前の良さも、とても良かったです。
すんごい量の設定会議と内部資料が積んであると思うんですが、それに報いるために本筋にはみ出してくる無様を徹底して弾き、あくまで縁の下の力持ちとして使い倒す勇気が、少女達のドラマを重厚に支えていました。
ゲップが出るほどのペダントリーを詰め込みつつ、それに中毒していない作品ホント好き。

まだまだプリンシパル達の闘争、人生という名の列車はスチームを上げて走り続けます。
この物語は終わっていないし、同時に一つの確かな終わりにたどり着いた。
偽物のプリンセスは血を流しながら、己の本心と玉座と牢獄が衝突する場所にたどり着き、望みを声高に叫んだ。
自分を守るために嘘に溺れていた少女は、そこからはみ出して人間に戻るための一歩を踏み出した。
何も終わってない、何も始まっていない、でも確かに実りある、人間への第一歩を描いて終わったこのアニメは、やっぱりとてもいいアニメだったと思います。

ありがとうございました、良いアニメでした、お疲れ様。
このアニメを見ることが出来て、本当に良かったと思います。
『王女の最優先標的』が今後どんな戦いをしていくか、とても見たい気持ちもありつつ、今は心からお礼が言いたい。
ありがとう、プリンセス・プリンシパル

 

追記 やっぱりおうちがいちばん