ヴァイオレット・エヴァーガーデン:第5話『人を結ぶ手紙を書くのか?』感想

ひばりよ、翼を経て白椿の庭園から飛び立ち、愛を携えて赤い薔薇の城へと赴かん。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンの修行時代が終わり、いきなり国家を背負ったロイヤル・ロマンスの渦中に飛び込んでいく第5話です。
4話分の経験値(+描写されていない数ヶ月)を経て、導かれ諭される子供から、幼子に道を示す大人へと羽化したヴァイオレットが、代筆という職務から外れることで、『より良きドール』の本分を果たしていく物語でした。

幼年期と成熟期の中間地点にいるシャルロッテの可憐さ、その代理母たるアルベルタの揺れる感情、遠く離れた王子様との交流。
エピソード・ゲストの仕上がりも非常に良く、人間の心が分かり始めたヴァイオレットの為しうることを『結婚』に託し、先週とはまた別の形で母子の愛情、成熟への道を描く形となりました。
アイリスが母の用意した『結婚』ではなく『職業』を選ぶことで己の道を見定めたのに対し、『結婚』こそが『職業』と言える王族のシャルロッテが、むしろそこにこそ己の真実を見出し、より善い『結婚』のために力強く前進していく。
それを傍で支えるアルベルタ、『職業』を放棄することで真実の成功をつかむヴァイオレットも、優しさと強さに満ちた、麗しい描かれ方をされていました。
国家騒乱の種を排除し、愛する二人を結びつけ、世界中から祝福される婚礼を成就させる。
五話にして自動手記人形のキャリアハイにたどり着いた感じもある、花に満ちたゴージャスなロマンスでした。


さて今回のお話も、ライデンを離れて異郷に赴くお話。
『母』と『結婚』、王室という巨大な『家』が話の真ん中に座る部分含めて、第4話との共通点が強く見えますが、話としては正反対です。
アイリスは失った恋にケリを付け『会社』に帰還するのに対し、シャルロッテは心に燻るロマンスの花を開かせ、椿の冠を故郷に置き異国に嫁いでいくことでお話は終わります。
両者とも自分の中の子供としっかり対話し、新しい自分にたどり着けたという意味では同じ道ですが、そこに行き着く道は一つではない。
二つの街、二人の娘、二人の母、別れを告げる恋と成就される婚礼。
この2つが連続した話数で並ぶことで、様々な価値が肯定される多様な視線が世界に導入され、『仕事も結婚もまた、寿がれるべき一つの幸せだよ』と告げてくれているのは、僕はとても良いと思いました。

ホッジンズが軍に呼び出させるサスペンスフルな出だし、美麗な風景の中に埋め込まれた銃砲。
『戦争回避のための冷たい結婚』を想起させる出だしですが、実はそうではない、と判っていくことが、今回の物語を牽引していきます。
美麗な代筆手紙で装飾された儀礼恋愛に見えていたものは、ヴァイオレットの英断により私的な自由恋愛となり、真実心の中から湧き出る想いを筆に乗せて伝える行為は、城を飛び出してあらゆる人に祝福されていく。
そのことが結果として、王族の勤めたる国家の平穏の維持、軍部がホッジンズに持ちかけた怜悧な政治的目的を達成することにも繋がる。
始まりと終わりが繋がっている『入って、出る』構造はこの物語の常道ですが、一見無関係なミスリードにも見える冒頭の依頼はしっかり果たされ、リアルな政治劇と真実のロマンスは、矛盾なく同居して終わります。

最初はヴェールに守られた寝台(それが失われた母の子宮であることは、わかり易すぎるほど明瞭です)に微睡んでいた少女は、『職業』でもある恋と向き合うことで自分を知り、詩的言語行為であると同時に公的な政治行為でもある恋文のやり取りを経て、代理母たるアルベルタから門出していく。
白い椿に覆われた寝台から飛び出し、インクと筆(ドールの武器であるタイプライターよりも、ロイヤルな調整を施された意思伝達兵器)を駆使して『私はこのような存在である』ことを世間と個人に伝え、赤い薔薇を受け止めて増やしていく。
髪の乱れた一少女であり、王冠とドレスで武装する公的存在でもあるシャルロッテは、公私に分裂していた二つの自分を統合し、『立派な大人』として巣立っていく旅路を、手紙をしたためることで歩いていきます。

何気なく年齢を尋ね、故事である事実を反射されて動揺し、謝罪する。
第4話でアイリスを『結構いいじゃん』と思わせたのと同じ技法で、ただのワガママ娘に見えたシャルロッテの印象をポジティブに変えるのは、とても巧妙でした。
儀礼恋愛から世紀のロマンスへ、話の軸足が移り変わる中で恋に恋する乙女の表情を見せてきて、それを成立させるために自分なりの策略を巡らせもする。
シャルロッテが持っている多彩な顔を、テンポよく見せて意外さを演出する運びが鋭く、彼女をどんどん好きになれるお話でした。


新しい自分を次々見つけ、受容していくシャルロッテ
彼女に寄り添うヴァイオレットも、ドールの形式を守る美麗な恋文をしっかり描き、それでは救いきれない少女の涙に心動かされて、あえて『代筆』という職務を放棄する。
拙くても、心のこもった文章こそが真実を伝え、思いをすくい上げる。
かつて彼女がローダンセ先生に教えられた教えを胸に、形通りのプログラムではなく、真実必要な特例を選び取れるようになる。
国家政治に関わる大きな仕事を任されたと言うだけではなく、また美麗な文章を的確に書けるようになったというだけではなく、『良きドール』としてあり続けるためには『ドール』を放棄する柔軟な判断力、そこを離れたとしても自分と愛すべき少女の未来を掴み取れるという自信が、今回の物語には満ちていました。

暖かな人に包まれ変化を始めた(ある意味では達成した)ヴァイオレットを見せる今回は、『良きドール』として人に寄り添う手紙の文面も、形に支配されない心理的変化も、豊かに使われていました。
『ドールをやめて、ありのままの私を見て?』と問いかけるシャルロッテに、これまでのマジレス人間なら『職務を止めるには社長の許可が必要で、止めることは出来ません』くらいのことは言ったでしょうが、そこに込められている真の意味をちゃんと読み取って、無言で頷く。
少女の涙と本心を受け取った後は、強く手を握りしめて決意を固め、本にはけして乗ってない全く新しい自由恋愛の詩を、王族自ら書かせる暴挙に出る。
先週アイリスの心を無造作に切開し、ギャンギャン泣かせていた体験からしっかり反射を受け取り、他者や社会とのよりよい距離を見つけた結果、世紀の婚礼と少女の成長(と、ドロッセル・フリューゲル両国の緊張緩和)が為ったと思うと、カザリでの大暴走も無駄ではなかったのでしょう。

二人の少女が寄り添い合いながら分かり合い、それぞれの思いを反射させながら相手を見、自分を見つける。
そこにはここまで四話強調されてきた、異物としてのヴァイオレット・エヴァーガーデンは鳴りを潜め、言葉の使い方を覚えた犬、柔軟な対応を身に着けた人形、武器の代わりに筆を執った兵器がいます。
そんな彼女の助けを借り、王冠を外した一少女としての自分をアルベルタ以外に預けることで、ドロッセル(ドイツ語で『ひばり』)もまたフリューゲル(ドイツ語で『翼』)家の一員となって、未来へ巣立っていく。
そんな二人の照応を見つめる母、アルベルタもまた、冷静な宮廷女官の仮面に隠した感情の揺れを刻みつけつつ、門出を幸福に祝う。
どこか臆病な王子のロマンティックなプロポーズも含めて、様々な人が自分を前に勧めていく、このアニメの基本線に沿ったエピソードだったと思います。


船に揺られてドロッセルに足をつけ、おとぎ話のような美しい宮廷に迷い込んで始まり、船から降りてライデンに帰還し、過去と対峙するところで終わる。
これもまた『入って、出る』構図といえますが、今週はとにかく王宮の美術が圧巻でした。
装飾、あるいは生花として大量の花に満ち、品の良い調度は高級さを漂わせつつ調和が取れ、悪目立ちしていない。
国家を背負った大恋愛がメインテーマとなるエピソードの核を、美術の腕力で殴りつけて納得させる作りは、京アニの真骨頂と言えるゴージャスさでした。
エヴァーガーデン』だけに花の表現が印象に残るこのアニメですが、雨や水の表現も非常に鮮明で、水に満ちた王宮の涼やかさ、静かな湿り気が肌を潤すようでした。
庭園の描写とか、マジでモネの絵画の中をアニメキャラが動き回り続けてて、静止しているはずのものが運動している奇妙なめまいを感じました。
いや、あれは動いちゃいけないものなんだけど、実際動かしてるからなぁ……週刊アニメで。

美術の強さがメタファーに収斂し、エピソードの密度を上げることに成功していたのも、とても良かったです。
ドロッセルの国花である白い椿は、シャルロッテとの出会いから世界を満たし続け、『家』に囚われ閉じこもっている彼女の現在を、見事に象徴しています。
あらゆる場所にこの世のものとは思えない花(萎れたり、散っている花は一つもない)が満ちていることで、夢のような王宮の浮遊感もよく出ていたし、それが物語が落着し日常に帰還するカトレアとヴァイオレットのシーンで落差を産んで、強く強く生きる。
花に満ちた水の都の夢はもう遠いけど、その想い出はヴァイオレットの心に強く刻まれて、笑顔を知らない人形に心からの微笑みを教える。
頬を引っ張ることでしか笑えなかった少女が手に入れた、最高の報酬を祝福するかのように、野の花とひばり(!)の鳴き声が響くラストカットは、非常に良かったですね。


白い椿は『愛らしさ(Loveliness)』を花言葉に持っています。
赤い薔薇がど真ん中の『愛情(Love)』や『情熱(Passion)』を刻まれているのに対し、ちょっと清楚で幼く、慕情とはまた違った形をした感情。
それは王女としてのドロッセルに常につきまとい、国花としての責務を教え、また彼女の国家への、国家から彼女への愛情の象徴でもあります。
不変のティアラに刻まれた枯れない椿は、彼女が王女でありドロッセルの女であることを教える、一種の拘束具なわけです。

彼女はそんな境遇を完全に否定しているわけではなく、生まれついての天命として、誇りと愛情を込めて受け止めています。
時折冠を外し、ありのままの自分には当然なりたくなるけども、ゴミ箱に捨てたり踏みにじったりしたくなるような対象ではない。
ちょっとのワガママ含めて『愛らしさ』の権化たる彼女にとって、白い椿は自分自身なわけです。

窓際に飾られた白い椿は夜の中で開花し、彼女が自分の言葉で手紙を綴る……ありのままの自分を応じに見せていく過程で、赤い薔薇に変わっていきます。
それは少女が愛を知った女性に変わり、寝室に閉じこもっていた子供が自分の足で立てる大人となり、『愛らしさ』から『愛』へと己の真実を変えていく過程と、見事にシンクロしています。
そのような個人的な成長と同時に、二人の恋は国家的政治劇であり、国民によって消費され祝福されるロマンスでもある。
フリューゲルの国花たる『赤い薔薇』を手紙と一緒に受け止め、その数を増やすことは、『白い椿』に守られていた幼年期から抜け出し、ドロッセルからフリューゲルへと嫁いでいく自分を、しっかり受け止めることにも繋がります。

(純白の椿が真紅の薔薇に変わるのは、処女喪失のロマンティックでエロティックなイマージュを含んでもいて、かと言って下品にはけしてならない清潔感もあり、山田尚子のコンテだなぁ、と思いました。
クッションとぬいぐるみ(後にヴァイオレットと強く結びつくシャルロッテが『犬』を抱き続けているのに注目)に満ちた柔らかい寝所に閉じこもっていた少女は、静謐なる夜の中で自分と向き合い、最終的にそこを飛び出して女の貌、大人の顔を手に入れる。
幾度も『母に起こされるだらしのない娘』のモチーフをリフレインした上で、自分の意志で寝所を支配し、眠るだけではないもう一つの目的を乗りこなせる『女』への変貌を予感させるのは、凄まじい演出的計画犯罪だな、と思います。
肌が見えるシーンは殆どないのに、花(植物の生殖器)に満ちた世界はそこはかなとなくエロティックで、その上気が王宮の浮世離れした空気とマッチもする。
ロマンスの先にあるセクシュアルな出来事を、一切言及せずに予感させる画の使い方は、まさに完璧でした。)


ヴァイオレットが決断して始まった、常識破りの直筆恋文交換。
ありのままの自分を叩きつけるしかない局面に己を投げ込むことで、ドロッセルは公的身体と私的身体に分裂した『王妃としての自分』を肯定し、『白い椿』の付いていない花嫁の冠をかぶるところまで、己を成長させていきます。
しかしそこへの歩みは、王冠を外したありのままの自分をヴァイオレットに見せること、それが四年前に王子によって既に受け止められていたこと、真実の恋がその時芽生えていたと気づくことで、初めて可能になる。
秘された私的領域を的確に公開し、それを公的な自分と重ね合わせる行為によって、彼女は『王女としての自分』を適切に配置するべき場所を、しっかり探り当てることが出来たわけです。

ぎくしゃくと狭く暗い場所で始まった二人の交流は、開放されたガゼボでのアフターヌーンティーへと移る。
相手を受け入れた象徴としての食事がさり気なく用意されていて、椿の形をした菓子をシャルロッテが口に喰み、最も無防備な場所へと向かい入れる。
国花は彼女にとって身の養いであり、拒絶の対象足り得ない親愛そのものであることが見えて、非常に好きなシーンです。

そういうやり取りを挟み、文句のない恋文(『月と花』をキーフレーズにすることで、後に公開される王子との出会いを予感させる仕上がり)で信頼を作った後、真実を開放する庭園での語らいに繋がります。
謁見時は遠く冷たく離れていた二人の距離は、間を取り持つ母もないまま非常に近くなり、シャルロッテは『公』の自分である椿の王冠を外し、心に恋が芽生えた時の秘密を公開する。
あのとき泣いてばかりだった自分が少し大きくなり、恋を成就させるための策略を張り巡らせることも可能になった。
結婚と恋愛を『戦の道具』に使われる王家の立場に反発するのではなく、むしろその状況を利して私的な欲望を叶えていくタフさを備えた彼女は、既に成熟した女の表情を持っています。(『戦争兵器としての自己』とどう向き合うかは、ヴァイオレットにとっても大きな課題であり、そういう意味でも二人の少女の間にはブリッジがかかっている)
しかしそれでも、手紙の奥にある相手の真意が見えないのは恐ろしく、愛してもらえるとは限らない泣き虫の自分を信じ切ることも出来ない。


そんな風に泣きじゃくる子供を前にして、ヴァイオレットは自分と彼女のあいだにあったタイプライター(ドールの武器)を乗り越えて正面に立ちます。
足元には真っ白な椿の花が舞い散り、ヴァイオレットはけしてそれを踏みつけない。
それは彼女が見守られ、他者の視線を無垢に反射する立場から、自分の意志を他者に照射し、その反射を受け止めることで自分を見つけていく立場へと、大きく変化した瞬間でしょう。
あの覆いのない(寝台にしても玉座にしても、今回のお話は異常な量のヴェールに満ちています)会話は王女と王子が自分の心を素直に伝え合う切っ掛けであり、長らく続いた王室儀礼が変化するポイントであり、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが無垢なる少女から少女を見守る存在へと生まれ変わった決定機なのだと、僕は思います。

そういう会話は実は、第1話のガス灯の下でホッジンズと、第2話雨の中でエリカと、第3話空っぽの教室でルクリアと、第4話オレンジ色の夜の私室でアイリスと為されていたわけですが、ヴァイオレットはその意味に気づかなかった。
しかし優しい人々との交流、気づかないうちに自分の内側を照射し反射してもらっていた日々を経ることで、彼女は受け止めてもらう側から受け止める側へ、無自覚に決意を促す子供から子供の決意を後押しする大人へと、見事に再生していった。
泣きじゃくる幼子を前に『涙を止める』という決意を固めた時、ヴァイオレットがそんな過去の出会いを、そこに込められた奇跡のありがたさを思い返していたのなら、それはとっても素敵なことだと思います。

『戦場』では絶対に思いつかないし、そこに拘泥してたら簡単に死んでしまう決意でしょうしね……『泣いてる子供の涙を止める』って。
そういう贅沢な、しかし人間の真正に関わる問題を自分のものとして受け止め、前に出れるようになったことが、彼女が『戦場』で受けた傷を(ある程度)修復し、『戦後』の生き方に慣れてきた何よりの証明なんじゃないかな、と思います。
玉の如き涙(『水』の表現の延長線上にあるもの)が印象的なシャルロッテは、ヴァイオレットの透明の瞳が跳ね返してきたモノを、ヴァイオレット自身に反射し、気づかせる存在なのでしょう。
そういう相手と出会う頃合いまで、ようやく傷だらけの獣がたどり着けたことは、僕は本当に良いことだと思うのです。


国家間の緊張緩和という政治的糸を持って始まる、シャルロッテとダミアンの恋。
それは公開されたロマンスであり、『ありのままの自分』を代筆させる儀礼として存在していました。
王家の恋とはそもそもそういうものであり、私的な感情が入り込む余地はない……ものだったのですが、一個人としてのシャルロッテはありのままの自分を既にダミアンに受け止めてもらっていて、公的儀礼は実は私的恋愛でもある。

『ありのままの自分』を受け止めてもらうことに大きな希望を持つシャルロッテにとって、4年前の2話でそれを真っ直ぐ受け止めてもらった王子が、代筆による儀礼に覆われていることはとても苦しい。
ヴァイオレットの直筆決断はその断絶を埋め、公と私に分割されてしまった二人を手紙を通じて再開させる妙手となります。
ここで面白いのは、シャルロッテは私的領域の恋が自動的に公的領域に曝け出され、好意によって消費されてしまう王族の宿命事態には、そこまで反感を覚えていないことです。
彼女は人間を政治的兵器に変えてしまう『王家』というシステム(ヴァイオレットを支配しているのとは別の『戦争のコード』)を、愛情を持って肯定し、白い椿を常に側においているわけです。

公の自分もまた、自分を形作っている掛け替えのないパーツであり、それとありのままの私的自我と同接続させていくか。
ちょっとワイドショー的な側面もある公開恋文には、そういう社会的変化の検査台としての側面も、大いにあると思います。
衆目に晒され、政治領域で利用されることでむしろ、二人の愛は真実さを増し、『自分なんて……』と思い込んでいたセルフ・イメージを大きく変化させることにもなる。
そこには公私のわかりやすい分裂ではなく、それを生まれたときからのアイデンティティとして受け止め、愛し育んできたシャルロッテの複雑なキャラクターが、巧妙に反映されていると思います。

ドロッセル王家の国民好感度がもともと高くて、ロイヤル・ロマンスが肯定的に受け止められていたことが、公的領域に私的感情を乗せてくる掟破りを、むしろ真実であると評価させる足場になっているわけですね。
そしてそれが寝台や王宮にとどまらないことで、国家レベルにまで好意的感情が拡大し、戦争という毒花は未然に摘まれる。
それが可能になったのは、自分の腕でペンを取り立ち上がるドロッセルの決意、それを支えるヴァイオレットのドールとしての技量あってのことであり、私的な成長と公的な変化は健全にシンクロしているわけです。

私的領域で交換されてきた白い椿と赤い薔薇は、晴れの婚礼の日に二国の国旗に刻まれ、あるいは祝福の盃の中を赤と白のワインとして満たし、世界を紅白の紙吹雪で埋め尽くす。
あのビジュアルは分裂していた公私が見事に融和し、明るい未来が生まれた瞬間を見事に図示していて、とても良かったです。
こういう大きいレイヤーでの重なり合いもまた、このエピソードを見た時に感じる喜びを、強く支えていると思います。


ありのままの自分を受け止め、泣いている女の子の涙を止める。
ヴァイオレットの決断と同じ行いを、四年前既に果たしたがゆえにシャルロッテの心に食い込んだダミアン王子。
10歳の年齢差がある彼が、ヴァイオレットの運命である少佐に擬されているのは間違いないところです。
戦争がいつ開始したかが読みきれないけど、12才の孤児を戦闘兵器に仕立て上げて、腕と心ぶっ壊して病院ぶち込んで放りっぱなしって考えると、そらーホッジンズも救済に行くわな……成熟した美しい外見とう長所が、逆にヴァイオレットの傷を世界が適切に受け取る障害になってるのは皮肉だ。
少佐の生死はまだ不明(僕は生きてると思うけど)ですが、『ペド野郎過ぎてMPに営巣ブチ込まれた』とかの悪評が立ちつつあるので、それを払底する度量が早く見たいところです。

4年前、少女の涙を拭うために膝を曲げていた王子は、手紙での本気のやり取りをへてお互いを知り合い、伴侶として迎えに行くためにもう一度月の庭園に向かいます。
あの時は生花で作られていた冠は、揺らぐことのない銀の花としてシャルロッテの髪を飾り/縛り付け、王女としての彼女を象徴しています。
背の伸びたシャルロッテは、四年前の膝を曲げて自分で立てない子供(第3話のお兄ちゃん、あるいは第4話の裸足で崩れ落ちるアイリスのリフレイン)ではなく、自分の足で立てる少女への成長した。
王子は膝を曲げ、赤い薔薇と手紙を携え、自分の言葉で婚礼を申し入れ、少女はそれを受ける。

非常にロマンティックな恋のやり取りなのですが、この構図が母子の離別に立場を変えて再演されているのが、非常によく刺さる。
王子から男女の恋を受け取って『女』になったシャルロッテは、『私はお前のものよ』と言うまでに愛した侍女にして母たるアルベルタに、婚礼を前にして本心を告げます。
それでも自分の足で立ち、王子が二度自分の涙を拭ってくれた時の忠誠の姿勢で、母に対する感謝と愛を伝える。
そこで抱擁ではなく、男女の公的な恋愛儀礼の仕草を母子の愛の表現として使ってくる所に、儀礼を大事にしつつそれに踊らされない少女たちのタフさが反映されていて、僕は凄くいいな、と思ったのです。

王子が月の庭園で与えてくれたものを、シャルロッテは優しく育んで大きく大きくし、門出の日に自分自身が王子となって母に伝える。
真実の振る舞いは男女の恋愛だけに限らず、寝所にこもって柔らかいクッションを投げつけるような親子の情愛に別れを告げ、それを永遠にする瞬間にも、真実の力をちゃんと持っている。
そういう広大な意味が、三度繰り返される『跪いての礼』に宿っているように思えて、凄くロマンティックだなぁ、と思いました。
最後のカトレアとの対話シーンも合わせて、今回のお話が王子とシャルロッテ恋物語であり、シャルロッテとアルベルタの親子の対話であり、同い年のすみれとひばりが睦み合う友情のお話であり、またカトレアとヴァイオレットが同僚を超えた絆を作るお話でもあると見せる上で、構図の繰り返しがとにかく良く刺さるのですよね。


ローダンセ先生にしてもアイリスの母にしても、アルベルタにしても。
妙齢の女性達が娘を見る目線の冷たさと暖かさを、忘れずしっかり描いてくるのはこのアニメの特徴だと思います。
ときに迷い誤解され、また真実が見据えられない時があるとしても、適切に思いを伝えるメディア……『良きドール』が書いた手紙があればそれは届き、娘達はそれを糧に新しい世界へと飛び出していける。

母の視線が無条件に良いものではなく、厳格さや無神経さ、苛立ちや痛みを孕んだ危険なものでもあることから目をそらさないのは、僕は凄く良いと思っています。
『女』を中心に据えたこの物語は、当然『母』も最終的には肯定的に描くわけだけども、でもありのままの姿が無条件で良いものだとは、絶対に書かない。
娘達がワガママで、弱くて、身勝手で頑なある瞬間を切り取る公平さは、母たちの冷たさや勝手さを描くときにも常に健在です。

しかしその視線の奥には、社会的立場やすれ違いを乗り越えて余りうる熱量が宿っていて、時折あふれる。
己を国家の所有物と規定し、シャルロッテへの個人的愛情を強く閉じ込めているアルベルタが、シャルロッテの身勝手を見守る時の、ほのかな喜び。
泣き方一つで心の機微を読み取ってしまうほど強く繋がった、血の繋がらない配下との愛情が、細やかな視線の揺らぎ、仕草一つにしっかり込められているからこそ、赤い薔薇を愛しつつ白い椿を手放せないシャルロッテの葛藤、それを乗り越えた門出の美しさも、スッと胸に入ってきます。

ホントなー、まめぐも小山さんも演技最高で、王宮の浮世離れした雰囲気の中で演じられる当たり前の家族の肖像が、微笑ましくもホッとする感じだったな。
サスペンスフルな出だしで警戒レベルを上げておいて、寝所というプライベートな空間で展開される年相応のワガママ、当たり前の家族関係を見せて『あ、コイツラも人間だ』と納得させる落差の作りは、凄く良い。
あそこで感じた微笑ましい感じがジワジワ発芽して、二人きりの庭でズドンと爆裂して運命を変え、圧倒的ロマンスと家族愛で大団円まで引っ張るパワーと計算力、とても良かったです。
第3話でのルクリア、第4話でのアイリスと、母の保護/束縛を離れて娘達だけの空間が形成される瞬間が、常に物語が動くステージになっているのは、なかなか面白いと思う。
欲を言うと、『父』なるものの視線の存在、そこからの開放の瞬間も描くと、バランス良くて良いんじゃないかと思うが……ディートフリートに期待かな。


というわけで、世紀のロイヤル・ロマンスを舞台に少女の自己発見と自己実現、公と私の融和、母なる存在からの幸福な離別を描く、リッチなお話でした。
月の庭園、本物の恋文、白と赤の花束。
ど真ん中のロマンスの道具立てを迷いなく振り回し、圧倒的な美術力をパワーに変えて殴ってくる、本当に見事なエピソードでした。
『この世のものとは思えないほど美しい場所』で24分間物語が展開すると、それだけで奇妙な興奮と満足感があるな……。

見守られる無垢なる子供であり、使いみちを見つけられない兵器でもあったヴァイオレットが、その役割を脱したことも、シャルロッテを導くために『ドールという職業』を破棄する英断のなかで、しっかり感じ取れました。
それはホッジンズに保護され、エリカと語り合い、ルクリアとお兄ちゃんのために拙い手紙を書き、アイリスの帰郷に付き合って自分を探した結果、その中で他人の中に自分を食い込ませていた結果生まれた、大事な成長です。
血に塗れ人の世の生き方を学べなかった美獣は、その銀腕を白日にさらして怯えられる時代を過ぎ、ありのままの自分をさらけ出せる段階へと足をかけてきました。

その上で、殺しの罪業は消えてなくなりはしない。
船から足をおろして始まった物語が、船から足をおろして終わる時、少女は自分の過去と対峙します。
ディートフリートが背負い、囚われてもいる殺戮の嵐は、確実にヴァイオレットの中にも存在していて、だからこそ明るいライデンと嵐の海、現在と過去はシームレスに配置される。
戦争という過去を乗り越えるための婚礼を成功させた後に、その立役者たるヴァイオレット自身が『戦場』と向き合う形になるのは、非常に面白いですね。

その対峙が、一体何を生むのか。
歩みを進めたヴァイオレットと、彼女を愛する人々は無慈悲なる黒い嵐を前に、どんな手紙を紡いでいくのか。
来週も楽しみですね。