原田マハ 『異邦人(いりびと)』 ~二人の女性のアイデンティティーが、物語を牽引して、最後、立て続けに驚愕の真実が現れます。まさに、卷を措く能わず、です。「源氏物語」源氏没後の薫、浮舟世代の無常観が漂います。

 14日は、私の71歳の誕生日です。
 メイ・サートンの詩にあるように、そろそろ、
「私は船脚をゆるめ」「安全に着岸できるように」しようかと思っています。

 さて、今日の読書は、

原田マハ 『異邦人(いりびと)』(PHP研究所)

です。

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 これまで、名画や画家を下敷きにした、キュレーター原田マハ氏の小説を読んできました。例えば・・、

モネらを描いた「ジュヴェルニーの食卓」、
ゴッホの「たゆたえども沈まず」、
オーブリー・ビアズリーの「サロメ」、
アンリ・ルソーの「楽園のカンヴァス」・・・、

 今回は、日本を舞台にした現代物です。
 夫、一輝が、京都の「ハイアットリージェンシー」に行く描写から、リアルな期待一杯です。
 書題が、「異邦人」。
 昔、好きで熱中した、フランツ・カフカ(1883-1924)を、どうしても思い浮かべてしまいます。
 しかし、これは「いりびと」と読ませています。

 ただ、この「異邦人」の題名にしろ、冒頭の「源氏物語」の一句にしろ、巻末の「枕草子」の句にしろ、引用がひねりすぎで、やや、「ん ?」となり、ペダンチック過ぎるかもしれません。

 私は、リアルな現代物では、白石一文(1958-)が好きです。「一瞬の光」なんて素晴らしいですね。
その文章に書かれている、ちょっとした、飲み物や食べ物の固有名詞も〈勉強〉になるくらいです。対して、本書は、京を細かく描写しています。

 で、カフカと白石一文のファンである厳しい眼差しで、本書を読みましたが、面白かった。まさに、卷を措く能わず、でした。

 巧い。当初、考えていた以上でした。
この物語に出てくる言葉を遣えば・・、
アクセス(入り口)、手法(アプローチ)、到達点(アチーブメント)・・
が、巧くて、特に、後半は、畳みかけるように、いろいろな謎が解けていきます。

 「いりびと」とは、元から京都に住む人ではない、余所から来たひとのことです。
 最初、主人公・菜穂(なほ)の、京での苦境が背景かな、と思ったのですが、菜穂は、あっさり、京に同化するどころか、父親が、祖父と思っていた喜三郎で、実母が祇園の芸者、真樹乃(まきの)だったことが分かります。

 ・・・本書冒頭に、「源氏物語」第四十九帖「宿木」の、柏木と女三宮の不義の子・が、宇治の初瀬詣で、偶然行きあった、宇治八の宮の三姉妹の(亡くなった)姉・大君とうりふたつの、異母妹・浮舟をのぞき見る場面の引用の節があるのが印象的です。
 三姉妹の中君と結ばれた源氏の孫・宮は、浮船に心寄せ、薫を装って接近します。
 薫は、懐妊中の中君を慰めるうちに恋情を寄せます。薫も、匂宮も、浮舟を京に移そうとして、二人の間で浮舟は悩みます。
 薫は、女二宮と結婚しますが心は晴れません。一方、中君は、男子を出生します。
「源氏物語」後半、薫と浮舟世代の物語は、男女の愛に深い亀裂があり、しょせん人間は一人という〈運命感〉が漂い、幸福な結末が求められません。それが暗示されています・・・。

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